週間国際経済2024(32) No.406 12/14~12/31

今週の時事雑感 12/14~12/31

日鉄・USスチール騒動の教訓

ぼおっとした頭の中での想像だが、ぼくは日本製鉄の株主だ。ぼくはバイデンより日鉄経営陣を非難している。「なぜ、よりもよって大統領選挙の年に!」と。でもその想像の中のぼくが日鉄の株主になった動機はUSスチール買収に魅力を感じたからだ。それも2024年中にやってしまいたい。なぜなら次にまたトランプになるかもしれないからだ。バイデンのうちにやらないといけない。バイデンは「民主主義と専制主義の戦い」のために同盟結束のリーダーになると言っている。中国との競争に打ち勝つために、中国を外したサプライチェーンの再構築=フレンド・シェアリング戦略を唱え、「経済安保」が同盟国コンセンサスとなっている。そうした中で日鉄は、自力再生が見込めないUSスチールに資本と技術を投入し、ダンピング輸出を急増させる中国の鉄鋼メーカーに対抗するのだ。ましてや日鉄によるUSスチール買収は双方ウインウインの「ベストディール」だ。これぞアメリカン・エコノミクスが大好きな「経済的合理性」というものだ。それをアメリカ政治が後押ししてくれているのだから、想像の中のぼくは迷わず日鉄の株を買ったのだった。

それなのにどうしてぼくの投資は、日鉄の投資は座礁してしまったのだろうか。バイデンを信じていたのが間違いだったのか。たしかにトランプになる前にと焦ってしまっていた。でもだんだん見えてきたのは、バイデンとトランプは「水と油」ではないことだ(⇒時事雑感№377)。バイデンだろうがトランプだろうが、どちらも「今のアメリカ」なのだ。今のアメリカは、分裂し対立し、そして内向きなのだ。でも世界がデカップリングされるなかで、日本企業はアメリカについていくしかないではないか。バイデンの正体が見えた、だから今度はトランプに賭けるのか?逆の逆は、また裏目だぞ!でも、アメリカについていくしかないではないか。そこだよ、株主諸君。その思考停止が、今回の教訓なのではないのかね。

想像の中のぼくは、いつのまにか自分の投資を棚に上げて、株主たちを前に偉そうにそう諭していた。あと数日で、そのトランプになるんだよ。思考を止めて、それでもアメリカについていくしかないという道の行き着く先は、絶望の淵だよと。

今回の顛末、ネット記事などで散見するのが次のようなナラティブだ。日鉄とUSスチール経営陣と株主が買収に賛成し、これに労働組合が反対している。間違いではないが、それはほぼ間違いに近いほどに大雑把すぎる物語だ。

この買収計画に反対しているのは全米鉄鋼労働組合(USW)で、USスチール労組もその傘下だが、そこには鉄鋼以外の製紙や機械など多くの産業の労働者約85万人が所属している。そしてUSスチール買収が浮上したときに名乗りを上げたのが米鉄鋼2位のクリーブランド・クリフスなのだが、買収条件で日鉄に競り負けた。さてUSW組合員にはUSスチールよりクリフスの労働者のほうが圧倒的に多く、労組会長のマッコール氏はUSスチールをクリフスが買収することを強く推していた。ここまではノンフィクションだ。

そこに加えて日鉄による民事訴訟によると、今回の買収阻止はクリフスとUSWの組織的な中傷や虚偽の発信などによる反競争的な違法行為が原因だという。クリフスにとっては自らが買収できないのなら、USスチールが日鉄に買収されて再建されるより、買収阻止でUSスチールが弱体化し、競争者を消滅させようとしているのだと述べている(1月7日付日本経済新聞)。

だとすれば、生産能力を10年間維持し雇用も守るという日鉄に対して、USWのほうがUSスチール労働者の利益に反していることになる。そしてUSWとクリフスが結託してバイデンに働きかけて、日鉄による買収を阻止すれば大統領選挙で支持を表明すると暗躍したと。そしてバイデンはUSスチール労働者を見捨てて、USWの85万人を選んだというのだ。それがバイデンによる不当な政治的介入だというのが、行政訴訟の骨子となっている。

日鉄によるUSスチール買収計画が発表されたのが2023年12月、24年1月にはトランプが「私なら瞬時に阻止する」と口火を切った。USスチールはピッツバーグに本社がある。ペンシルバニア州はアメリカ最大の激戦州、スイングステートのひとつだ。ここを取るか取らないかが選挙結果を左右する。バイデンにとっては後出しで「あいこ」は格好が付かないので対米外国投資委員会(CFIUS)の審査にかけた。CFIUSは結論が出ないとして24年末にバイデンに判断を一任したと報道された。そして1月3日、バイデン米大統領は日本製鉄に対してUSスチールの買収に絡む取引を「完全かつ永久に放棄」するための措置を取るように日鉄に命じた。

バイデンは言うのだ、「USスチールはアメリカ人が所有し、アメリカ人が運営し、アメリカ人労働者による世界最高の誇り高きアメリカ企業であり続ける」と。しかしその直後、USスチールの株価は8%下落した。USスチールのブリットCEOはペンシルバニア州にある製鉄所の閉鎖と本社の移転は避けられないと言っている。さらにバイデンは言うのだ、「日鉄による買収は、アメリカの安全保障と重要なサプライチェーンにリスクをもたらす」とも。なんだと、経済安保の対象は中国ではなかったのか。日本は同盟国だぞ。それもどうやら関係がないようだ、自国と外国の安全保障なのだから。そもそもCFIUSは1980年代の日米半導体摩擦を契機に作られた投資規制だ。

想像の中のぼくは、株主として日鉄経営陣を非難したが、日鉄が「バイデン」と呼び捨てにして裁判に訴えた気持ちは分かる(分かるから今回はぼくも呼び捨てに付き合っている)。しかしこの裁判を起こすことで日鉄が、もしかしてトランプによる逆転劇に期待しているのだとすれば、ぼくはもう日鉄株を売る(あくまで想像上だ、株は持っていない)。バイデンとトランプは「水と油」ではないのだ。どちらも内向きのアメリカなのだから。

そのトランプ、1月6日に今回のことについて自身のSNSで「関税によってより高収益で価値のある企業になるというのに、なぜUSスチールを今売ろうとするのか?」と発信した。なにを言ってるんだ、あんたの「過保護主義」関税の結果、USスチールは身売りしなくてはならなくなるまでに落ちぶれてしまっているというのに。

そしてぼくは、これを例によって例のごとく「カツアゲ」のサインだと感じた。トランプは、どうせUSスチールを売るなら、もっと高く売りたいのだ。併せてあれもこれも交換条件を引き出したいのだ。石破さんがやってきて「どうにかしてください」と懇願したら、その見返りを求める腹だ。そうなればもう「経済的合理性」?ウインウインではなくなる、採算が合わなくなるからだ。でもそうやって引っ張れば、バイデン相手の裁判は長引くだろう。トランプに得るものはあっても、失うものはない。「グッド・ディール」だ。

なんだ、こいつは。クリーブランド・クリフスのCEOのゴンカルベス氏だ。1月13日の記者会見でバイデン政権による日鉄のUSスチール買収禁止を評価する一方で、「中国は邪悪だが、日本はもっと悪い。日本は中国にダンピングを教えた」、「1945年以来、なにも学んでいない。日本は自分が何者か理解していない」とまくし立てる動画を何回も観た。なんだ、こいつは、「敗戦国のくせに」とでも言いたいのか、もろアジアン・ヘイトやないか。

でもこうしたトランプ風の安物パフォーマンスがアメリカでは受けているらしいから、もうポリティカル・コレクトネスの空気は一掃されようとしているのだろうか。そういえばメタがフェイスブックのファクトチェックを終了させるという。トランプ派の「検閲」批判に屈したということらしい。マクドナルドが多様性確保の目標を廃止すると発表したように、アメリカでは企業の社会的責任とされていた「DEI(多様性、公平性、包摂性)」推進の方針を取り下げる動きが相次いでいる(1月9日付同上、企業、染まる「トランプ色」)。

アメリカについていくしかないではないかと言うのだが、だとしたらどんな日本企業が、いったいどうやってトランプのアメリカについていくというのだろう。なんとかすり寄って「トランプ色」に染められて、世界の誰が幸せになるというのだろう。

もう、アメリカにはついていけない。その諦念から生まれる覚悟が、USスチール騒動の教訓ならばいいのにと思う。トランプを越えた向こう側、「ビヨンド・トランプ」に投資すればいいのにと思う。例えばだけれど、日本製鉄がこれに懲りて、石炭火力に依存したUSスチールの高炉再建などではなく、カーボン・ニュートラルな鉄鋼メーカーを目指して長期投資計画を前倒しにするとか発表することになれば、想像の中ではなく、リアルにぼくは日鉄の株を買う気になるだろう。

日誌資料

  1. 12/14

    ・トランプ関税、米も打撃 27年GDP1.1%下押し 物価上昇で消費減速
  2. 12/15

    ・尹大統領弾劾可決 与党が一部造反 職務執行停止に 憲法裁が罷免判断へ
  3. 12/16

    ・英、TPP加入 世界GDPの15%に
  4. 12/18

    ・ホンダ・日産統合へ 持ち株会社設立 産業構造転換、再編迫る <1>
    三菱自の合流も視野 EV世界競争へ連合 「鴻海の買収」危機感
    ・家計金融資産減少 8四半期ぶり 株式等は6月末比5.2%減
    ・マスク氏X投稿、閲覧1330億回 トランプ氏の15倍 政治的影響力強める
    ユーザーがフォローしていなくても投稿が表示 意図的に影響力引き上げの可能性
  5. 12/19

    ・米0.25%利下げ、3会合連続 FRB 来年2回に減速 <2>
    NY株1123ドル安、10日続落 「タカ派的」利下げに失望
  6. 12/20

    ・日銀現状維持 総裁、利上げ材料「もう一段必要」賃上げ見極め <3>
    トランプリスクも考慮 緩まぬ円売り圧力 一時157円台
    ・米長期金利が急上昇 10年物利回り4.59% 7ヶ月ぶり高水準
  7. 12/21

    ・与党、税制大綱決定 年収の壁103→123万円 「国民民主と真摯に協議」 <4>
    ・「極右政党だけがドイツを救う」 マスク氏、他国に異例の応援
    ・米下院共和党、マスク氏に屈す 「つなぎ予算案」を否決 「X砲政治」幕開け
    つなぎ予算案は2度目の投票で可決 政府機関閉鎖回避へ前進
  8. 12/22

    ・VW労使、痛み分けの合意 独工場閉鎖見送り 3.5万人削減
  9. 12/23

    ・トランプ氏 パナマ運河通航料「不公平」 管理権返還にも言及
  10. 12/24

    ・トヨタ、中国にEV工場 レクサス生産、初の単独運営
    ・日本の名目一人当たりGDP、昨年22位に 韓国と逆転、G7で最下位 <5>
  11. 12/25

    ・日鉄のUSスチール買収 バイデン氏に判断一任 対米外国投資委員会
    ・政治改革3法成立 政策活動費廃止 企業献金、3月に結論
  12. 12/26

    ・15年で「半分再エネ」へ 次期エネ計画原案了承 経産相 原発は2割
  13. 12/27

    ・海外勢、日本株熱に陰り 今年5兆円売り越し 自社株買い頼みに <6>
  14. 12/28

    ・米TikTok規制法 トランプ氏「発行延期を」 マスク氏の影響か
  15. 12/29

    ・中国、原油需要はや天井 輸入量前年割れ見通し EV化、「エネ安保」にらむ
    ・民主主義国 与党が全敗 24年選挙イヤー分析 インフレ、有権者に不満
    ・日経「社長100人アンケート」 中国戦略「再考」4割 トランプ関税に身構え
  16. 12/30

    ・USスチール 日鉄の買収不成立なら「米は中国に敗北」
    ・先進国 政権弱く債務膨張 国債純発行額、リーマン後最大級 来年見通し
    物価対策、緩む財政 強まる金利上昇リスク
  17. 12/31

    ・世界株高 米企業頼み 時価総額増加分の9割 今年末 インフレ再燃がリスク
    ・中国、トランプ関税に備え 貿易の対米比率最低に 東南アに輸出増
※PDFでもご覧いただけます
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