週間国際経済2024(21) No.395 07/05~07/19

今週の時事雑感 07/05~07/19

お知らせ

このブログを副教材として利用した前期授業が終わり、「ポイント解説」は「時事雑感」になり、更新期間も夏休みモードになります。よろしくお願いいたします。

「歴史を変える1枚」は何を変えたのか

米誌アトランティックは「紛れもなく米国の写真史における偉大な構図のひとつだ」、英紙デーリー・テレグラフは「米国の歴史を変えた一握りの写真と見なされるだろう」。トランプ氏銃撃後の様子を収めたAP通信カメラマンの写真だ。たしかに「奇跡の一枚」なのだろうと思う。星条旗を頂点とした見事な三角形構図は、あの硫黄島の戦いを描いたクリント・イーストウッド監督の『父親たちの星条旗』を彷彿させるという評論を何かで見て、そうかもなとも思った。

でも正直なところ、ぼくは典型的なB級アメリカン・コミックスの、そうヒーローもののそれ、それが頭に思い浮かんで興奮していたのだった。事件が、幸いにして「歴史的」ではなかったからだろうけど、そんなこと公に口にしたらぼくは膳場さん以上に「人の心がない」扱いされていたに違いない。

ところが、これがアメリカ大統領選挙に決定的な影響を与えるという見方が、「ほぼトラ」が「確トラ」になるという見方が日本メディアに溢れてくると、なんとも不安な気持ちになっていった。ぼくの「人の心」ではなく政治的感覚のほうが、やはり常軌から大きくズレているのかもしれないと。

事件直後の授業で、ぼくは聞きようによってはこの出来事をイジっていた。というのは、岸田首相は昨年4月に和歌山で爆弾を投げつけられた。学生たちに「もしそのときに、SPに囲まれた岸田さんが拳を上げて、その上に日の丸がはためいている写真が偶然撮られていたら、岸田さんの支持率は急騰したと思いますか」と聞いた。あまりに多くの学生が同時に首を横に振ったものだから、ぼくは吹き出しそうになってうつむいたのだった。少し不謹慎だったと反省しているが、こうしたものに一瞬は政治的インパクトを感じるだろうけども、じつは落ち着いて考えてみればそれほどでもないかもなと、そう思ってくれればよかったのだった。

翌週の授業で、あの事件以降アメリカの世論調査には大きな変化がなかったという記事をことさらに示すことでぼくは面目を保ち、いかにアメリカ社会の分断と対立の溝が深いのかというもっともらしい解説に繋げることができたのだった。あの写真でトランプ氏を神格化する人もいるらしい。でも一部だ。それも元々トランプ派だった人たちのなかの一部だ。一方で、あの類いのマッチョな星条旗ものが大嫌いなアメリカ人だってたくさんいるのだ。つまり、あの写真で何かが急増したり急減したりしないのだから、それで歴史が変わることはないと。

しかし、この銃撃事件がバイデン撤退の重要な契機となったことは間違いない。事件前にバイデン氏は「トランプ氏を標的にする時が来た」と発言していた。失言癖で有名なバイデン氏だが、おそらくこれが最大の失言として記憶されるのだろう。銃撃事件後の15日、バイデン氏はテレビで「その言葉(put Trump in the” bullseye”)を使ったのは間違いだった」と認めた。これでバイデン陣営の「重罪人トランプ」、「民主主義の脅威トランプ」キャンペーンは抑制され、すなわちバイデン候補の「レゾンデートル(存在意義)を問われる」(民主党政権の元幹部)こととなった。

たしかにトランプ被告は、大きなアドバンテージを取った。そして幸か不幸か、銃撃事件の2日後、7月15日に共和党の全国大会がウイスコンシン州ミルウォーキーで開幕した。これがまさに、トランプ被告にとって「幸か不幸か」のタイミングだったとぼくは思う。

銃撃事件を、この大きなアドバンテージをキャンペーンにどう生かすか、トランプ陣営は限られたごく短い時間で決断しなくてはならなかった。支持率はリードしているが、僅差だ。どこに資源を集中して戦うのか、オプションは2つある。ひとつは、「スイング・ステート(激戦州)」、もうひとつは「中間層」だ。

分断と対立のアメリカ大統領選挙で、民主党30%前後、共和党30%前後は岩盤だ。50州中7州ほどのスイング・ステートを僅差で勝ち抜くか、あるいは中間層を取り込むか悩むところだ。なぜ悩むのか、このブログでは半年前から指摘しているがバイデンとトランプは政策的に「水と油」ではないからだ(⇒ポイント解説№377)。

その悩みはトランプ氏の大統領候補指名受諾演説に投影していた。なんとトランプ氏は90分の演説の冒頭15分ほどを「対立」ではなく「団結」を訴えたのだった。それは当初の内容から大幅に修正されたと、トランプ氏自身が明かしている。すると修正されたのは冒頭の15分、すなわち「中間層取り込み」だったということだ。だから基軸はスイング・ステートを固めることだということになる。当然の選択に見える。とくに全国大会直前にロイター通信が、全米トラック運転手組合(民主党寄り)が、11月の大統領選挙で中立を検討していると報じたのは大きかった。

だから、そう、だから副大統領候補にバンス上院議員が指名されたのだ。明らかにスイング・ステート固め戦術だ。ぼくは何が言いたいか、かりに「中間層取り込み」戦術ならばバンス氏指名はありえないということだ。あるとすれば最後まで共和党候補を争ったニッキー・ヘイリー氏が筆頭候補だろう。非トランプ共和党支持者を固め、トランプを警戒する保守的な中間層の支持を得ている(献金も多い)。

しかし銃撃事件で自信を深めたトランプ被告は、バンス氏を選んだ。選挙戦術としてはヘイリー氏指名のほうがより優れているとしても、いざ大統領に就任した後の、たとえば大統領令の連発や恩赦の連発時に、ヘイリー氏がブレーキとなる恐れがある。それよりは「ミニ・トランプ」バンス氏の忠誠心を選んだということなのだろう。

その選択の前提は、バイデン氏が降りないということだった。そしてまんがいつそうなったとしても、もう時間的にハリス副大統領しかいない。トランプ氏にとってハリス氏は敵ではない。そう考えたとしても無理はない。副大統領としてハリス氏は実績もなく評価も低い。就任当初から移民管理を担当させられたが、この分野でのバイデン政権のブレは大きかった。ASEAN外交を分担したこともあったが、そこにもやはりバイデン政権に明確な方針がなかった。

しかし実績がないということは、マイナスの実績もないということであり、現職としての失点も少ないということになる。ハリス氏はリベラル層にとっては「反トランプ・非バイデン」の結集軸となりうるのだ。

銃撃事件の2日後の共和党全国大会で決定し、後戻りできなくなったトランプ陣営の選択は、スイング・ステート固めであり、中間層取り込みではないということだ。これが、幸か不幸なのだ。ぼくのような野次馬評論はこう問う、もしトランプ・チームが「歴史を変える1枚」に酔うことなくニッキー・ヘイリーを選んでいたら、バイデン・チームはカマラ・ハリスを選ぶことができただろうか。少なくとも「バイデンに変わってピッチャー、ハリス」という場内アナウンスにスタジアムは大歓声に包まれただろうかと。

流れが変わった。若いバンス氏は、はしゃぎすぎだ。トランプ被告以上にトランプ的であろうと振る舞う。それが彼の変節を悪目立ちさせる。バンス氏はラスト・ベルトの労働者階級出身を売りにするが、じつのとことシリコンバレーの投資家たちとの繋がりを生業にしている。そうした矛盾はあるがしかし、トランプ的であることはたしかなようだ。それが例の「猫好きの女性」発言だ。

これは2021年のFOXニュースでのインタビューだということだが、ハリス副大統領らについて「この国は自分と人生と選択のために惨めな思いをしている子どものいない『猫好きの女性』によって運営されている。そして彼女たちはこの国も惨めなものにしたいのだ」と語っているのだ。これはかなりの数の有権者に、報復の機会を与えることになるだろう。

トランプ・キャンペーンの最大の特徴は、敵を激しく汚く罵ることだが、これがバイデン氏に対する「高齢者叩き」ならば、高齢者による高齢者いじりだったから、まだ許された。しかしハリス候補に対しては、それがジェンダー的なものであれ、人種的なものであれ、つまりはハリス氏の属性に関わること全てに対する攻撃や揶揄が「差別発言」となり得るのだ。

それが分かっていても、トランプ派は止まらない。共和党トランプ派議員からはハリス氏のキャリアに対して「DEI枠採用」だと攻撃する。多様性、公平性、包摂性に配慮した取り組みだが、これを能力がないのに引き立てられたと揶揄する言葉として彼らは使用する。たとえそれが一部の白人男性の共感を得たとしても、その何倍もの反感を買うことがわからいのだろうか。

いや、かれらトランプ派は、ポリティカル・コレクトネスに息苦しさを感じる人々に、あえて「言ってはいけない」言葉を放ってウケるという成功体験にどっぷりとはまってしまっているのだろう。その場で高笑いする聴衆のその外側に、その何倍もの人々が深く傷ついていることにまだ気がついていない。

民主党の支持基盤だった黒人票のバイデン離れが注目されていたが、ハリス候補によって一気に戻っていく。それが気に入らないのだろう。だとしてトランプ流は止まらない。トランプ被告はよりもよって黒人ジャーナリストの会合でハリス氏について、「彼女はずっとインド系だったが、突然変化して黒人になった」、「誰かが調査するべきだと思う」と発言した。うまく言ったつもりなのだろうか。それが彼の支持者集会ならば、きっと大ウケしたのだろう。だから止まらないのだ。

国際政治に対する関心が芽生えだした頃から、ぼくのアメリカ大統領選挙についての予想が当たったためしがない。予想といっても、専門家や世論調査やジャーナリズムの統計や見識を借りてそれを自分の予想としていたのだから、予想が外れたのはぼくではない。

これからたとえば、イランとイスラエルの緊張や各国金融政策の揺れ戻しなどによって国際金融市場に大混乱が起きるかも知れない。たとえばフリーハンドになったバイデン外交が、何かを解決するかもしれない。たとえでいえば、アメリカ大統領選挙には「オクトーバー・サプライズ」と呼ばれる出来事がいくらでも出てきたのだ。

かくして「歴史を変える1枚」は、歴史を変えることはなかった。激しく変わりゆく歴史のなかの一コマだったことは間違いない。でもそれは、あるいは掃いて捨てるほど数多くのパロディのネタに成り果てるのだろうか。あと3ヶ月しか、いやまだ3ヶ月もある。

日誌資料

  1. 07/05

    ・東証時価総額 初の1000兆円 けん引役、製造・金融に拡大
    ・消費支出、実質1.8%減 5月 円安で海外旅行伸びず
    ・生成AIの個人利用 日本は9%どまり 情報通信白書 中国56%、米46%
  2. 07/06

    ・英労働党が政権奪還 14年ぶり スターマー内閣発足 総選挙圧勝 <1>
    EUと関係修復へ、再加盟は否定も貿易新協定目指す アジア外交に変化も
    脱炭素を再加速 ガソリン車新車販売禁止、再び30年に 税制面では企業に配慮
    ・バイデン氏「私が最もふさわしい候補」 米大統領選、撤退論を拒否
    ・ハンガリー、オルバン首相訪ロ プーチン氏と会談 2日にはゼレンスキー氏と会談
  3. 07/07

    ・イラン大統領に改革派 ペゼシュキアン氏 米欧と協調路線 経済立て直し探る
    米との対話に意欲も米国務省「期待せず」
    ・海上自衛隊 特定秘密情報、無資格取扱が常態化 海上幕僚長、引責辞任へ <2>
    日米防衛協力の前提揺らぐ 指揮統制の協議に影
  4. 07/08

    ・経常黒字41.8%増 5月2.8兆円 第一次所得収支黒字額4.2兆円と過去最大
    海外金利上昇と円安を背景に 貿易収支赤字は1.1兆円
  5. 07/09

    ・ハンガリー、オルバン首相訪中 習氏と会談 「中国・EU関係発展を」
    ・仏、2回投票制で一転 下院選、極右阻止へ有権者傾く 「公然と差別」忌避感
    左派1位、与党連合2位、極右は3位に転落 投票率66.6%
    ・特定国に輸入依存の品目 日本4割、G7で突出 通商白書 大半が中国から <3>
  6. 07/10

    ・インド、モディ首相訪ロ 「親ロ」新興国波及の恐れ ロシア包囲網に綻び <4>
    ・中国車、欧州へ攻勢やまず BYD、トルコに新工場 現地生産で関税回避
    ・仏、連立協議が難航 左派「NFP(左派連合)の首相指名を」 <5>
    ・利下げ遅れ「景気悪化も」 パウエルFRB議長議会証言 リスクを指摘
    議会証言に政治圧力の影 危ぶまれる独立性 大統領選控え駆け引き
    ・企業物価6月2.9%上昇 5ヶ月連続で伸び率拡大
    ・「NATO、かつてなく強固」 創設75周年、バイデン氏演説
  7. 07/11

    ・ウクライナへ7兆円 NATO、来年に 首脳宣言 加盟は「不可逆」
    中国はロシアの「決定的な支援者」 日韓、NATOと関係強化 米国で日韓首脳会談
    ・ルペン氏 不正資金疑惑 22年大統領選 仏検察が捜査
    ・日経平均、4万2000円台 一時500円超上昇 大型株に買い
  8. 07/12

    ・円急騰、一時157円台 米消費者物価、予想下回る 6月3.0%上昇 <6>
    市場に介入観測 財務官「コメントせず」 対ユーロで介入準備か 日銀、レートチェック実施
    ・NATO、アジア関与拡大 日韓などと協力深化 首脳宣言
    ・バイデン氏言い間違え ゼレンスキー氏を「プーチン」ハリス副大統領を「トランプ」
    ・北朝鮮抑止へ「指針」 米韓首脳、核戦力明示の共同声明を採択
  9. 07/13

    ・「弱い円」政府が問題視 11日 介入3兆円規模か 連夜の急騰、一時157円台
    ・自衛隊不正218人処分 特定秘密など 辞任の海幕長「組織文化に問題」
    ・老いる世界 人口減早まる 2080年にピーク103億人 国連推計 <7>
    中国は2100年に半減 出生率低下止まらず 日本、5000万人減少
    ・トランプ・リスクNATO備え 首脳会議閉幕 ウクライナに支援7兆円明示 <8>
    「最強同盟」維持に試練
    ・NY株4万ドル回復 2ヶ月ぶり 9月利下げ観測支え 週間上げ幅600ドル以上
  10. 07/14

    ・政府・日銀に介入観測、円一時157円台 賃上げ効果消失を危惧 <9>
    円安圧力なお継続 円買い2夜連続の見方 防衛ライン見えにくく
  11. 07/15

    ・トランプ氏撃たれ負傷(13日、ペンシルバニア州)演説中に
    当局「暗殺未遂」 20歳容疑者を射殺 聴衆1人死亡
  12. 07/16

    ・中国GDP4.7%増に減速 4~6月実質、消費さえず <10>
    ・トラック労組、中立検討 米大統領選の支持 バイデン氏に痛手
    ・FRB議長、インフレ抑制に自信 利下げへ前進示唆
  13. 07/17

    ・共和、トランプ氏正式指名 米大統領選 党大会 銃撃2日、健在ぶり示す
    副大統領候補バンス氏 白人貧困層描いたベストセラー
    ・バイデン氏、批判抑制 反トランプ戦術とりにくく
    ・バンス氏「最大脅威は中国」 ウクライナ和平実現で「対中集中」軍事資源振り向け
  14. 07/18

    ・貿易収支、3ヶ月ぶり黒字 6月2240億円 1~6月は赤字3.2兆円
    ・米、対中規制で日蘭に圧力 AI半導体装置 技術提供を阻止
    半導体相場 急ブレーキ 米の対中規制強化を市場警戒 トランプ発言も波紋
    ・中国「国有企業柱に成長」 3中全回 29年までに改革完成 <11>
    「不動産リスク抑制」も具体策言及せず 成長鈍化、懸念払拭遠く
  15. 07/19

    ・トランプ氏、一部で神格化 詩集や彫像、銃撃Tシャツも
    ・バイデン氏撤退論強まる 米民主党 オバマ、ペロシ氏が同調
    ・消費者物価6月2.6%上昇 電気・ガス代が押し上げ
※PDFでもご覧いただけます
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