週間国際経済2022(32) No.325 10/11~10/17

今週のポイント解説 10/11~10/17

トラス英首相の44日政権

就任前

7月7日、ボリス・ジョンソン英首相が辞任した。ロックダウン中に首相官邸でワインパーティーを繰り返し、与党幹部のセクハラが発覚した。これらはたしかに不祥事だが、問題はジョンソン首相が責任追及に対して「嘘をついていた」ことだった。支持率が急落し、愛想を尽かした主要閣僚や政権幹部が大量に辞任した。

さて、次の首相を選ばなくてはならない。保守党は下院過半数の議席を持っている。保守党の党首が首相になるから、その党首を選ぶ。数人が立候補し、予備選で絞り込む。最後まで残ったのがスナク前財務相とトラス外相だった。スナク氏は予備選を通して第1位の投票を得ていた。

イギリスの物価上昇率は10%を超えている。アメリカやユーロ圏より高い。予備選2位となったトラス氏は、減税と保険料引き下げ家計支援をというが財源は示さない。スナク氏はこれを「おとぎ話」だと批判する。バラマキはインフレを加速させ、むしろ財政の立て直しが必要だと訴えていた。

ぼくは予備選の初めの頃、トラス氏の公約は「党首に選ばれなくても党内第二勢力のリーダーとなる」作戦だと思っていた。なぜならその公約はやはり「おとぎ話」だと思ったからだ。しかし世論調査でトラス氏はスナク氏を逆転し、その差を広げていく。トラス氏は「おとぎ話」のファンタジー色をさらに強める。ぼくは「勝つための誇大広告」に作戦を変更したのだと思った。

決選投票は保守党の一般党員のオンライン投票で決まる。とはいえ投票権を持つのはわずか16万人ほどだ。有権者の一握りにも充たない。結果、トラス氏が8万票あまり、スナク氏は6万票あまり。約57%という僅差の得票率でトラス氏が勝利した。

さて、保守党はどう見ても民主的な手続きで党首を選出した。その党首は民主的に首相になった。なのに、ぼくは困っていた。ここ10年ほど、各国の民主的な選挙でぼくにとって「好ましくない候補」が選ばれる確率がかなり高いのだ。ぼくがズレているのだろう。あるいは現在の選挙制度がネット社会の深化からズレているのかもと、負け惜しみのひとつも言いたくなる気分だ。

そのせいか、エリザベス女王の任命を受けてイギリス首相就任式に臨むトラス氏の満面の笑顔から、ホラー映画導入部分によくある平和な日常の描写を感じていたのだった。

辞任まで44日

トラス政権誕生の翌日9月7日、ロンドン市場でポンドが急落し、対ドルで37年ぶりの安値水準をつけた。民主的に選ばれた政権に、市場が「NO」を突きつけた。

イギリスの物価上昇率が他の主要国より高水準であるのは、土台としてEU離脱が作用しているからだ。ヒト、モノの移動の自由から孤立したのだから、EU地域から供給されていた労働力が一気に不足し、最大の貿易相手地域であるEUからの輸入に煩雑な通関手続きも課せられる。これらのコストが物価に上乗せされ、そこにウクライナ戦争による資源価格高騰が襲いかかったのだ。

そんなイギリス経済が、GDPの1.4%に相当する大幅な減税を財源なしで打ち出したのだ。トラス氏は対ロ強硬派だから防衛費のGDP比3%への増額も訴えている。有権者が喜ぶあれもこれも、負担増なしでやるというのだ。なんと「民主的」なのだろう。しかし市場の論理は、「みんなが喜ぶことは、やがてみんなが苦しむ結果をもたらす」という意地悪な性格を帯びている。

辞任まで30日

9月22日、イングランド銀行(英中央銀行)は0.5%の利上げを決定した。利上げは7会合連続だが、ここ2回は連続して通常(0.25%)の2倍の利上げとなった。さらに保有する英国債の市場での売却を他の主要中央銀行に先駆けて開始すると発表した。

翌23日、トラス政権は当面の経済対策を発表し、エネルギー高騰対策として10月から半年で約9.4兆円(約600億ポンド)を投じ、来年4月に予定されていた法人税率引き上げを凍結する。

同日、ロンドン市場で英国債利回りが急騰した(英国債価格が急落した)。2年債は前日より0.4%あまり上昇、株価も一時2%強下げた。ポンドの対ドルレートは前日比4%の下落率、トリプル安だ。

9月21日にはFRBが3会合連続の0.75%利上げを決定し、ドル高が加速する。ドルを買いたい。そのためには何か他の通貨を売らなくてはならない。カナダ銀行は5会合連続の利上げで14年半ぶりに3%超えとなっている。スイス国立銀行も0.75%利上げをし、マイナス金利から脱出した。円は為替介入で円売り投機に損失を与えようとしている。

ポンドが売られて当然だ。9月26日、ポンドは前日の1ポンド=1.12ドル台から一時1ポンド=1.03ドル台と急落し、変動相場制以降(1973年)以降後の最安値を記録した。英国債10年物利回り(長期金利)は2営業日で0.7%も上がった(国債価格は下がった)。

これがアメリカの長期金利にも波及する。米アトランタ連銀総裁はイギリスの経済政策に「懸念と恐怖を感じる」と述べた。

辞任まで20日

9月22日に国債売却開始を発表していたイングランド銀行が一転、国債買い入れに踏み切った。年金基金が破綻しそうになったからだ。英年金は低金利を前提にしたリスク投資をしていたが(ほとんどの国の年金運用がそうなのだが)、英国債の急落で担保資金難の瀬戸際に追い込まれていたのだ(米JPモルガンの試算によると英年金基金の損失は最大25兆円になったという)。

与党保守党の支持率は21%に急落し(トラス政権発足時より10%近く下げ)、最大野党である労働党の支持率が54%に跳ね上がった。この33%ポイントという支持率の差は、1990年代後半以降最大だという。

狼狽したトラス政権は10月3日、高所得者向けの減税案を撤回した。トラス氏は高所得者(年収15万ポンド超)の所得税率を5%引き下げると約束していた。大企業も富裕層も減税すればトリクルダウンによって経済成長に繋がる説だった。その説が正当かどうかはさておき、かりに効果があるとしてもデフレ対策だろう。

10月6日にはOPECプラスが大幅な原油減産で合意した。トラス政権は光熱費に上限を設け、さらに世帯当たり半年で400ポンド割引をすると言っていた。できるのか、足りるのか。「おとぎ話」の化けの皮が剥がれ出す。ホラー映画は山場に近づく。

辞任まで1週間

トラス首相は10月14日、法人減税を撤回し、財務相を解任した。17日にBBCのインタビューに答え、政策に間違いがあったことは認めたものの辞任は否定した。減税案撤回で長期金利は0.4%ほど下落し4%弱になったが、減税案発表前の3%台前半からはまだ高い。

10月19日、トラス政権の内相が辞任した。理由は職務上の技術的ミスだという。そんなことで辞任に当たるのかと思うようなミスなのだが、辞任書簡には「政府の仕事は間違いの責任を受け入れることで成り立っている」、「間違いが起きていないふりをするのは真剣な政治ではない」と痛烈だった。

トラス政権の支持率は、7%にまで墜落した。

10月20日、トラス首相は辞任を表明した。政治的には大激震だ。保守党党首選びはやり直しだ。それまでイギリスには指導者がいない。しかしその20日のロンドン市場では英国債もポンドも株式指数FTSE100も、3つの金融資産がすべて上昇するトリプル高となった。

劣化した民主主義と規制なき市場

次の有力候補はボリス・ジョンソン前首相という外信もある。「なんそれ?」だ。ぼくはブレグジットを巡る顛末以降、イギリス民主主義の体たらくに驚いている。ジョンソンさんもトラスさんもEU残留派から離脱派に変節した。党内政局の風を読むに長けていたのだろう。しかし、今総選挙をすれば消えてしまいかねない政党が、次の首相と内閣を決めることができるというのだ。

そうした民主主義の劣化を、市場が質したのだとしたら残念だが、教訓は学び取らなければならないだろう。今回はとくに「国債市場」が主役だったことが注目されている。

トラスさんが辞任した翌日10月21日、イタリアは総選挙で第1党となった極右政党のメローニ党首を次期首相候補に指名した。メローニ党首はネオファシスト政党出身、極右政治家をリーダーとする政権は、戦後欧州で極めて異例のことだ。この異例を実現させた理由のひとつは、やはり財源なきバラマキ路線だ。さて日本でもコロナ対策として赤字国債に依存して100兆円以上も財政支出を膨らませてきた。これからも規模優先の財政拡大で政権支持率浮上を計るご様子だ。

書店に行けば、円安がチャンス、財政赤字は返済不要、消費税はゼロに、そんな本が「今売れている」棚にずらっと並んでいる景色に出会う。もう、いちいち手に取るのもおっくうだ。ぼくのような基礎的な経済学知識しか持ち合わせていない者などには、それが草の根ポピュリズムのお花畑に見えて、ただその前に立ちすくんでしまうのだ。

日誌資料

  1. 10/11

    ・経常黒字8月96%減 589億円、円安・資源高響く 貿易赤字2.4兆円
    ・ロシアがミサイル攻撃 プーチン氏「橋爆発の報復」 キーウなどウクライナ全土
  2. 10/12

    ・世界経済「失速」2.7%成長 IMF23年予測 下振れ幅リーマン時超す
    欧州、ゼロに近づく 利上げ加速、リスク高まる
    ・韓国中銀、0.5%利上げ 5会合連続、物価抑制
    ・円、一時146円台 24年ぶり 介入時より円安に <1>
  3. 10/13

    ・企業物価9.7%上昇 9月 円安が拍車、予想上回る
    ・現行保険証24年秋廃止 デジタル相表明 マイナ一本化
    ・ロシア4州「併合」無効 国連総会決議 賛成143ヵ国、中印など35ヵ国棄権
  4. 10/14

    ・円、147円台後半 32年ぶり 日本経済の構造的弱さ映す <2>
    米物価9月8.2%上昇 予想上回りFRBの引締め継続の見方 ドル全面高に
    日本の貿易赤字定着 実需の円売り増える
    ・ドル高世界揺らす 同時不況、強まる懸念 市場、円買い再介入警戒 <3>
    ・G20財務相会議、共同声明出せず 対ロで「大きな乖離」金融引き締め「適切に調整」
    ・中国消費者物価2.8%上昇 9月、2年5ヶ月ぶり伸び
    ・英年金基金 損失最大25兆円 金利上昇で JPモルガンが試算
  5. 10/15

    ・英、法人減税を撤回 首相、財務相を解任 英政権に市場の洗礼
    支持率急落、はや窮地 くすぶる英国発金融不安
    ・G20 ドル高巡り溝深く 協調枠組み、機能不全露呈 <4>
    ・IMF委員会、共同声明出せず ロシア反対で2回連続 「世界経済に分断リスク」
    ・イエレン米財務長官「市場で決まるレート最良」 ドル高批判に反論
    ・防衛費、法人増税は「選択肢」 自民党税調会長
  6. 10/16

    ・円安、家計・企業に痛み 生活費、年8万円上昇も 内需型、半数で損益悪化
    ・米、欧州向けLNG2.6倍 ロシア産減少、半分補う 1~9月輸出 <5>
    初の首位、オーストラリア抜く 価格高騰、世界の課題に
  7. 10/17

    ・中国共産党大会 台湾統一「必ず実現」 習氏活動報告、長期政権を意識 <6>
    経済成長、数値目標見送り 「改革開放」言及目立たず「共同富裕」「強国」前面に
    ・米大統領、ドル高容認 「強さに懸念ない」 インフレ対策優先
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