週間国際経済2022(6) No.299 02/23~03/03

今週の時事雑感 02/23~03/03

ウクライナ、誤算の連鎖

青色と黄色

ウクライナ国旗は黄金色の小麦畑の上に広がる青空を表していると言われる。平和と豊かさへの祈りだ。国花は、ひまわりだそうだ。ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニの『ひまわり』はウクライナ南部がロケ地だったと、最近聞いた。最初は中学生のとき、それから二度観て、結局三度泣いた。ふと思う。この物語を小説で読んで、何度も泣くだろうか。いや、映画だからだろう。見渡す限りのひまわりの上に広がる青空の風景が、その色彩が人々を泣かせるのだ。

多くの若者が思春期の通過儀礼かのように手にとる『若きウェルテルの悩み』。ラストシーンが脳裏だけでなく網膜に残るのは、最期のウェルテルが黄色のベストと青色のジャケットを着ていたからだろう。ゲーテは20年かけて色彩論を研究していた。かれが補色の法則性を発見できたのは、色彩とは光と闇の作用だと考えたからだという。その色彩学はゴッホにも受け継がれる。「夜のカフェテラス」、「星月夜」、「ローヌ川の星月夜」。

黄色と青色の補色関係は、「希望」と「絶望」の深層心理描写だという。祈り、なのだ。

プーチンの誤算

いい歳をして理性で世界を語ろうとは思わないし、理性を失った人に理性を求めることが徒労だという経験則も持ち合わせているつもりだった。しかし哲学との向き合い方が生半可なためか、ぼくはどこかでどこまでも合理性に囚われている。

過去20年ほどプーチンを見てきて、政治や外交を感じたことがない。政治や外交の前提は理性だ。プーチンからは「工作」しか感じない。工作の成否は諜報(インテリジェンス)にかかっている。しかしプーチンはその諜報活動のトップではなく「皇帝」であること望んだ。あのクレムリン会議室の異様に長いテーブルは、そのまま工作との距離を感じさせる。おそらくプーチンにはネガティブな情報が届かなくなっていたのだろう。諜報の、情報分析の誤りは、作戦着手段階の誤りとなり、その後の工作すべてをミッション・インポッシブルにする。今や世界は、プーチンの「拡大自殺」の恐怖の前に立たされている。

専門家たちが一致するとこと、プーチンの“特別軍事作戦”はおよそ3日間完了の短期決戦だったという。プーチンの誤算は、その諜報対象者である欧米、ウクライナ政府、そして中国の誤算を情報源としている。じつはそれらは外部観察者であるぼくたちの誤算とも相通じる。それは、アメリカとNATOの直接的軍事介入はない、経済制裁の選択肢も限られる。ゼレンスキー政権の国内支持基盤は脆弱だ、中ロ蜜月は相互の利益だ、というものだ。

それぞれの判断に誤算があり、それら誤算は連鎖している。これ以上の悪夢の連鎖を断ち切るために、これまでのそれぞれの誤算をニュートンよろしくプリズムにかけて整理してみようと思う。もちろんその作業は、祈りよりはるかに儚いのだが。

アメリカとNATOの軍事不介入は誤算か

バイデン政権とNATO事務局による軍事不介入の明言は、プーチンとの駆け引きのうえで悪手だったという批判を聞くが、ぼくは違う。まず、アメリカの同盟国でもなくNATO加盟国でもないウクライナに派兵する法的根拠がないという理由だけでもじゅうぶんだ。相手が無法だから、こちらもというわけにはいかない。それは他の手段の正当性すら失うことになる。さらにはそうした前例をどのような危険な国家が踏襲しないとも限らない。

また、かりにアメリカ軍とNATO軍の派兵、つまりロシア軍との直接戦闘のオプションを残していたとすれば、世界経済のパニックは現在とはケタ違いに激しいものになっていただろう。その場合、対ロ経済制裁は現在とはケタ違いに微弱なものとならざるを得ない。第三次世界大戦のリスクをマーケットが織り込むならば、米欧日はリーマンショック級の、あるいはそれ以上の経済的打撃を受けながら対ロ制裁に臨むことになる。はたしてそれを米欧日国民に納得させることができただろうか。

逆にウクライナ侵攻後に、軍事不介入を表明することこそ最悪手だ。ただし大きな問題が残る。アメリカはウクライナ政府にNATOに加盟するように圧力をかけながら、NATO加盟国ではないから集団的自衛権の範囲ではないと言う。これでは道理が通らない。またフランスとドイツが危機の落としどころとしていた「ミンクス合意」についてもアメリカは、一切言及することがなかった。たしかに「ノルマンディー・フォーマット」はアメリカ抜きの枠組みだ、とはいえだ。軍事不介入ではなく、この外交上の不協和音という情報が、プーチンの誤算を生んだのだ。

経済制裁の選択肢は限られていたという誤算

プーチンは「宣戦布告だ」と気色ばむが、無理もない。今やアメリカとその同盟国による対ロ経済制裁は、「経済封鎖」のレベルに近い。ウクライナ危機以前、主要国最大の課題はインフレだった。とくにエネルギー需給の逼迫が、経済回復と金融引締めの両立を危ういものにしていた。ヨーロッパ、なかでもドイツはロシアの天然ガスに大きく依存している。アメリカ単独での経済制裁では効果は知れているが、米欧協調のハードルは高い。ましてやSWIFT(国際銀行間通信協会)からの排除など、米欧の返り血が過大だ。したがってバイデン政権は、SWIFTからの排除を侵攻直前まで制裁のオプションから除外していたのだ。そこに隙ありとみたのは、プーチンの誤算だった。

協調制裁のハードルを越えさせたのは、国際世論だった。ドイツ市民の反戦デモは、ショルツ政権に歴史的な政策転換を決断させた。アメリカの世論調査でも「ウクライナに積極的役割を果たすべきか」という問いにイエスが30%台から70%台に跳ね上がった。SWIFTからのロシア銀行排除ではドイツに配慮してガスプロムバンクを対象外にしたが、これを「抜け道」と揶揄する声もあるがそうは思わない。それが協調であるし、制裁は共倒れなく持続力のあるものにしなければならないからだ。

金融制裁の「最終兵器」とも言われるSWIFTからの排除だが、それ以上にアグレッシブだと思うのは、ロシア中央銀行への制裁だった。ロシアの持つ外貨準備を凍結したのだ。金融制裁を受ければ通貨は暴落する。ロシア中銀はルーブルを買い支えるために外貨売りをしなくてはならないが、その外貨準備としてのドルはNY連銀にユーロはECBに預けられており、これを押えられればロシアは為替介入ができなくなる。

ロシア中銀は政策金利を9.5%から一気に20%に引き上げたが、それでは資金流出を食い止めるとはできないだろう。したがって通貨暴落も輸入インフレも抑えられないだろう。資金だけではない、資本も一斉に逃避する。ロシア中銀利上げその日(2月28日)に英石油大手シェルがロシア極東ガス開発事業から撤退する方針を発表した。莫大な損失が出るにもかかわらず。その翌日には米石油大手のエクソンも事業撤退を表明し、ウクライナ支持とロシア侵攻批判の声明文を公表した。プーチンはエネルギー供給を欧米利害対立を促す武器と見ていたのだろうが、むしろ弱点となっていく。

アップルもフォードもナイキもディズニーもBMWも一斉にロシアでの事業停止を決めた。JPモルガンは3月2日、ロシアがドル建て国債のデフォルト(債務不履行)に陥る可能性が大幅に高まったという分析を顧客向けメモに示し、3日にはアメリカの格付け会社大手3社が揃ってロシア国債の格付けを「投機的」評価に引き下げた。

国際金融分野を少しかじっているぼくの感覚では、これで持ちこたえられる国民経済をイメージすることができない。しかし、それですぐさまプーチンが撤退するというものではない。むしろさらにプーチンは恫喝のアクセルを踏み込むことになる。そして資源国ロシアの封鎖は世界経済全体の回復に急ブレーキをかけることになる。予想以上にロシア経済が耐えた場合、ましてや効果を焦るあまり制裁を強化しすぎるならば、副反応が重篤化するという誤算をもたらすことにもなりうるだろう。

ゼレンスキー政権早期崩壊という誤算

ゼレンスキー政権は東部和平と汚職追放という公約について、過去3年間まったく成果を上げることができずにいた。コロナ感染死亡者数も100万人当たりでヨーロッパおよびロシアより多く、ワクチン接種率も低かった。政権支持率も30%を割り込もうとし不支持率は70%に近づいていた。2018年にはウクライナ正教会がロシア正教会から独立し宗教対立が激化していた。国内に『文明の衝突』の境界が生まれた(⇒時事雑感№296)。つまり、ウクライナ国内に一体感は微塵もなかったのだ。

軍事侵攻によってゼレンスキー政権は早期に崩壊する、プーチンにとってそれがインテリジェンスの前提であり結論でもあったのだろう。ところが2月26日のゼレンスキー氏の「わたしはここにいる」動画から情勢が一変する。プーチンは何を見誤ったのか。

「国内の圧政、腐敗よりも外部からの侵略と戦う」、それがナショナリズムというものなのだ。ナポレオン戦争によってヨーロッパに次々と国民国家が成立していく時代からそうだった。ミロシェビッチとNATOのユーゴ空爆もしかり。赴任中の東ドイツ崩壊、帰国してソ連邦解体を目撃したプーチンにとって、ネイション・ステーツとはかくも脆いものだった。

しかもウクライナを国家として認めることすらなかったのだから、そのナショナリズムを警戒することもなかったのだろう。情報とは、歴史観という芯があってそのもとに編み込まれる糸なのだ。プーチンのインテリジェンスは、芯が歪んだ織物だった。

さて、ゼレンスキー氏は突如、抵抗のシンボルとなった。これはアメリカにとっても中国にとっても「誤算」は過言だとしても、まったく予想していない事態だったに違いない。AP通信によれば、ロシア軍の侵攻が避けられたいとみるやアメリカ政府は、ゼレンスキー氏たちにキエフからの退避要請をして断られている。ぼくはアメリカも事態の長期化を想定していなかったと思っている。今も、頼まれてもいないのに亡命政府のお世話を買って出る。

しかしゼレンスキー政権は、18~60歳のウクライナ人男性の国外脱出を禁じ、志願者には武器を供与すると言っている。海外からも義勇兵を募っている。市民は火焔瓶で戦車と対抗しようとしている。ウクライナに戦闘員と非戦闘員の区別がなくなった。そのなかで、抵抗のシンボルの退避はありえない。物語はより長くより悲しいものになろうとしている。これを軽々しく誤算と呼ぶことに躊躇するが、しかし明らかにいくつかの誤算の結果なのだ。

ゲームチェンジャー

プーチンの第4の誤算、中ロ蜜月は相互の利益、この項は次回に回すことにする。それまでにどうなっているものか、まるでわからない。明らかになっているのは当事者、つまりウクライナとロシアとの停戦交渉は前進しないということ。軍事顧問団を送り込み、武器供与を行い、経済封鎖とも言うべき制裁を課している米欧は仲介者たりえないということだ。バイデン流の「民主主義と専制主義との戦い」(⇒時事雑感№294)では、世界秩序は維持できないということも明らかになった。

そして、いかに強力であろうと経済制裁は文字通り懲らしめることが目的であり、戦闘を終わらせる手段には及ばない。さらに制裁が「経済封鎖」のレベルに達すれば、制裁に関わる国民経済もまた準戦時経済下に置かれる。そうする間に、ロシアの軍事戦術はより残虐なものになり、ウクライナ難民は受け入れキャパシティを超えていく。

ゲームチェンジャーとしての仲介者は誰なのか。トルコなのか、中国なのか。漁夫の利といえば聞こえが悪いが、打算も損得も抜きで火中の栗を拾う者はいない。とりわけ中国にとっても事態の進展は誤算だっただろう、当惑する様子が透けて見える。中国が方針を変更するとするならば、その判断と方向性を決定するのは、国際世論だ。それはプーチンにとって決定的な誤算となるだろう。

プーチンが、あまりにもあからさまな「悪」であるがゆえに、ぼくたちがいつしか思考停止に陥る、そのリスクを警戒しなくてはならない。プーチンが悪いからロシア人も悪い。だからオリンピックからロシア人選手を排除するのは正義だ、とか。核兵器の恫喝に備えて核武装をしなければならない、とか。ナオミ・クラインが警告したように、あらゆる惨事便乗型(ショック・ドクトリン)政策に惑わされないように、警戒しなくてはならない。

戦い続ける意味を尊ぶあまり、戦いを終わらせる意味を卑しめてはならない。残念ながらこうした非理性的な誤算の連鎖の終結に、合理的な解を求めることはできないのだから。

日誌資料

  1. 02/23

    ・ウクライナ東部に派兵(22日) ロシア、冷戦後秩序揺さぶる G7外相、緊急協議
    EU、銀行や個人に制裁 英は5行などの資産凍結 先端技術の輸出制限
  2. 02/24

    ・米欧日、経済制裁を発動 対ロシア 銀行・国債を対象
    中国、ロシア支持見送り 経済制裁には反対
    ・プーチン氏「軍事作戦行う」親ロ派の支援要請で 「本格侵攻準備整う」米国務長官
  3. 02/25

    ・ロシア、ウクライナ侵攻(24日)首都空港で戦闘 各地の軍施設に空爆
    ・米欧日、追加制裁へ G7,首脳協議で強く非難 原油100ドル突破 NY株急落
    ・ロシア市場、トリプル安 ルーブル最安値 株一時50%安 国債に売り <1>
    ・「年央までに1%利上げ」 FRB理事 資産縮小「7月までに」
  4. 02/26

    ・ロシア軍、首都キエフ包囲 プーチン氏、停戦交渉の用意 <2>
    ・対ロ、銀行資産8割が対象 米欧日が金融制裁、追加余地も 英は決済網排除案
    ・世界のマネー、ロシア離れ加速 年金基金、株式など売却へ <3>
    ・昨年出生数 最小84万人 コロナの影濃く 婚姻4%減
  5. 02/27

    ・SWIFT決済網、ロシア排除検討 EUで支持拡大 銀行の資金遮断
  6. 02/28

    ・国債決済網 ロシア排除 数日中に 米欧、中銀にも制裁 <4>
    劇薬覚悟ロシア包囲網 決済停止、最大級の圧力 独も一転賛同
    ・プーチン氏、核でけん制
    ・英BP、ロシア撤退 ロマネフチ株を売却へ 北海原油急伸105ドル台
    ・EU、領空の飛行禁止 追加制裁、メディア活動も
    ・ロシアで反戦デモ拡大 拘束者5000人超す
  7. 03/01

    ・ロシア20%に大幅利上げ ルーブル最安値更新 インフレ抑制狙う
    ・中銀資産60兆円封じ込め 日米欧のロシア制裁 外貨利用を制限
    ・抗議デモ欧州動かす 独で10万人、英やスペインでも 強力制裁へ軌道修正
    ・ロシア制裁で商品一段高 アルミ最高値、パラジウム8%高、小麦9%高
    ・英シェル、サハリン2撤退へ ガスプロム合弁解消
  8. 03/02

    ・ロシア、信用危機に直面 債務不履行や銀行不安
    ルーブル買い支え阻止 ロシア中銀資産、日本も凍結 金売り抜けも困難
  9. 03/03

    ・欧米企業、ロシア離れ 政経一体で封じ込め <5>
    ・米大統領一般教書演説「独裁者に侵攻の代償」 対ロ、民主主義結束訴え
    ・FRB議長議会証言 0.25%利上げ明言 市場動揺の抑制狙う
    ・ユーロ圏物価、2月5.8%上昇 最高更新 欧州中銀、判断難しく
    ・OPECプラス 増産は見送り(2日) 原油10年ぶり高値
    ・「ロシア軍、即時撤退を」国連総会 非難決議を採択 141ヵ国賛成 <6>
    反対5ヵ国どまり 棄権35ヵ国 親ロ国も様子見
※PDFでもご覧いただけます
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