週間国際経済2021(29) No.279 09/01~09/10

今週の時事評論(29) 09/01~09/10

9.11とボツになった原稿

1.2001年夏

8月末の締め切りにはじゅうぶん余裕を持って、ぼくは1本の論文を脱稿した。誰も読んでいないから言えることなのだが、ぼくのなかでは手応えのあるものだった。しかし初稿の校正もせず、そのままボツにした(正確には別の論文と差し替えた)。

誰と一緒だったかは覚えていないがその日、ぼくは外でお酒を飲んでいた。けっこう飲んで酔っ払っていた。帰路、周囲の妙にざわざわした空気は感じていた。帰宅してテレビを見て凍り付いた。それがリアルな映像だと、しばらくは信じることができなかった。

ニューヨークのワールドトレードセンターに旅客機が突入している。ハイジャックによるテロだと言う。そのまま夜を徹し、お昼頃に寝落ちたが起きてまたテレビを見つめ続けた。そんなことを何日か繰り返していた。

2.ボツになった原稿

その原稿というのは、2001年夏までの国際金融動向を描写し、今後の見通しを書いたものだった。かいつまんで言うと、こんな内容だ。2000年末から2001年初頭にかけてアメリカのITバブルが崩壊した。アメリカからの資金流出が起きる、ぼくはそう見た。なかでも「湾岸マネー」が中東産油国に逆流するというマーケットの観測に注目した。いずれにせよ、資金流出を食い止めるためにアメリカは利上げを避けることができず、深刻なリセッション(景気後退)に陥るだろうと、書いていた。

ところが、同時多発テロの直後からビンラディンという人物が容疑者として特定され、かれは数百億ドルの資産家で、これがテロ資金になっていると繰り返し報道された。ただちにブッシュ政権は「テロ資金防止」を世界に求めた。こうしてアメリカから中東イスラム圏への資金移動は厳しく制限されたのだった。

ぼくは我に返り、原稿を読み直す。「アメリカからの資金流出は起きないかもしれない」、そう思うのがふつうだろう。ためらう余地はなかった。ぼくはその原稿をボツにした。結果的に、アメリカからの資金流出は起きなかった。したがって、ぼくの見通しは二重に外れた。アメリカは資金流出予防のための利上げどころか、逆にFRBは利下げを連発するようになる。0.25%刻みで8回連続、2年半で13回も利下げを繰り返し、政策金利は6.5%から1%台にまで引き下げられた。

3.原稿ボツ後の世界 その1

この前例のない連続利下げによって、ついにアメリカの政策金利はインフレ率より低くなった。つまり実質金利がマイナスになった。これは借金すれば利子をもらえるという状態だ。ここにブッシュ減税が加わる。

すると減税で可処分所得が増えても預金はなんら魅力のない浪費となり、ローンを組んで家や車を買うほうが合理的選択になる。アメリカの貯蓄率は限りなくゼロに近づき、住宅価格と株価は上がり続け、資産効果で消費が刺激される。ぼくはアメリカでリセッションが起きると発表しようとしていたのに。

さて、このまま住宅価格が下がらずに金利が上がらなければ消費景気は続く。しかし財政赤字が増えれば長期金利は上がるし、住宅需要が一巡すれば住宅は過剰供給になる。新規需要が必要だ。そうだ、住宅購入をあきらめていた低所得者にも住宅ローンを組めるようにしようということになった。

それは銀行にとってリスクが大きい。ならば銀行の住宅ローン債権を証券化して不特定多数の投資家に高利回りで釣って売りつければいい。そんなことしてもいいのか、だいじょうぶだ。議員さんが議会で「すべてのアメリカ人にマイホームを」と熱弁をふるえば支持される。また規制が吹っ飛んだ。

こうして他人の借金が資産として運用されるようになった。そう、サブプライム・ローンだ。ここから2008年のリーマンショックへの道のりは省略するが、このストーリーは9.11を起点としているのだった。

4.ボツ後の世界 その2

ブッシュ政権は、アフガニスタンのタリバンが同時多発テロの首謀者ビンラディンを匿っているとしてアフガンを空爆した。乱暴すぎると思うのだが、ブッシュ政権の支持率は90%以上に跳ね上がった。するとブッシュ・ジュニアはイラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と名指し、イラクのフセイン政権の脅威を強調する。それに国際的理解が得られないと見るや、イラクが大量破壊兵器を所有して発射直前だから自衛権を発動して先制攻撃を加えると言いだし、対イラク戦争が開戦された。

当時も、今となっても、まったく説明がつかない、しかし瞬く間の展開だった。そして数多くの戦死者、膨大な民間犠牲者を出し、莫大な戦費を投じて、20年戦争はアメリカの敗走で終わった。

もちろん終わっていないことは多い。この戦争を通じてアメリカの分断と対立は決定的に深まり、これからもその終わりが見えない。外に敵を作り、憎悪を煽ることで一時的に内部は一体化するが、やがてその憎悪のエネルギーは内部にも敵を作り互いに対立するようになる。この対立を克服しようとアメリカはまた、外に敵を作ろうとしている。

5.ボツ後の世界 その3

9.11以降、急回復するアメリカ経済に課題がなかったわけではない。金融緩和と減税が生み出すカネ余りのハケぐちを海外にも求めなくてはならない。また財政赤字の拡大による米国債発行の買い手を求めなくてはならない。

2001年6月に小泉構造改革の基本となる「骨太の方針」が閣議決定され、その直後に日米首脳会談で「日米経済パートナーシップ」が合意された。そして2002年9月の日米首脳会談直後に「金融再生プログラム」が公表される。

改革の第1弾は、アメリカ側が強く要求していた不良債権の最終処理だ。つぶすべき対象には融資を打ち切って担保物権を売却して処理するという荒療治だ。この担保資産を「ハゲタカファンド」と呼ばれたアメリカ系「ガイシ」が購入して叩き売りする。同時に株式譲渡益課税率が20%から10%に減税された。日本株の外国人買い比率が急増した。

労働市場も規制緩和が加速する。製造業分野での派遣労働禁止が撤廃された。株式会社による病院経営が許可され、自由診療分野が拡大された。そして、本丸「郵政民営化」だ。

雇用不安、年金不安、医療負担増によって国内消費は切り詰められ、ひたすら貯蓄が増えていく。そしてこの膨張する日本の貯蓄は、国内ゼロ金利を背景として利回りが約束されたアメリカ国債購入に向かい、対アフガン・イラク戦争によるアメリカ財政赤字を埋めた。

6.ボツ後20年

当時、ぼくは原稿ボツが間に合ったことに安堵していた、「大恥をかくところだった」と。しかしその後5年経ち、10年経ち、20年経って、ぼくの後悔は大きくなっていく。ぼくは、逃げたのだった、隠蔽したのだった。予想屋でもないのに、予想が外れたと指摘されることを恐れたのだ。恥など、かき慣れていたくせに。

そうだった。もちろん雑踏にかき消されるに違いないが、それでもしっかりと足跡を残すべきだった。間違いなく、ぼくはぼくの目に映った風景を思うままに描写したのだから。

ボツ後10年経った2011年発行の拙著『現代アジアとグローバリズム』の第9章に、ぼくはボツ原稿の骨子を織り入れている。要約しよう。アジア通貨危機を経て1998年、アメリカ最大手ヘッジファンドLTCMが破綻し、金融工学神話が崩れた。アメリカ財務省はLTCM投資家たちに当時史上最大の救済資金を投じ、さらに1999年には「金融近代化法」を制定して金融業務規制をことごとく撤廃した。結果、NY株価は再急騰したが、しかし間もなくITバブルは崩壊した。

ぼくはボツ原稿のタイトルを、この第9章第1節の見出しに残した。それは「失われた反省の機会」、だった。それから何度、反省の機会は巡り、そして失われてきたことだろう。今も9.11から20年を迎えて、誰も反省を口にしない。しかし今またぼくたちが、その機会に巡り会っていることは確かなのだ。

日誌資料

  1. 09/01

    ・米軍、アフガン撤収完了 20年戦争、米国「敗北」 対テロ、試される結束
    ・デジタル庁きょう発足 背水の行政DX 縦割り・閉鎖性崩せるか
    ・ユーロ圏物価3%上昇 8月、10年ぶり伸び幅
    ・中国、データ安全法施行 デジタル経済、25年1000兆円 米に対抗 <1>
    習氏「独占禁止を強化」 民間企業の統制継続 国有企業は優遇 生産性に懸念
  2. 09/02

    ・EU、アフガン周辺国支援 難民受け入れ資金 域内流入警戒、トルコ反発
    ・中国、貧富格差縮小に本腰 芸能界に一斉締め付け 脱税摘発や資金集め規制
    ・アップル、決済ルール緩和 アプリ開発者の手数料回避容認 書籍や音楽 <2>
    ・原油減産縮小を維持 OPECプラスが再確認
  3. 09/03

    ・北京に証券取引所 習主席表明、中国4カ所目
    ・菅首相、退陣へ 自民党総裁選に不出馬
    ・米司法、中絶禁止法を容認 テキサス州で発効 最高裁、差し止め却下
  4. 09/04

    ・米就業者23.5万人増止まり 8月、市場予測を大幅に下回る <3>
    ・北方領土に経済特区 プーチン氏表明 10年免除、外資誘致
  5. 09/05

    ・米中の市場分断加速 中国勢、8月の米新規上場ゼロ <4>
    米当局が追加情報開示要求 既存の上場企業にも圧力 異なる規制、運用リスク
  6. 09/07

    ・日経平均一時3万円 5ヶ月ぶり高値 経済対策に期待先行 <5>
    ・中国、学習塾の授業料統制 教育費抑え少子化対策
  7. 09/08

    ・中国輸出額25%増 8月 コスト、価格転嫁進む <6>
    ・経常黒字、24.5%増 7月、米中向け輸出堅調
    ・GDP上方修正1.9%増 4~6月年率 設備投資上振れ
  8. 09/09

    ・タリバン暫定政権巡り溝 米欧、国家承認に慎重 中ロ、関係構築へ意欲
    ・ビットコイン「通貨」に危うさ エルサルバドル、波乱の幕開け 不備で混乱
  9. 09/10

    ・米、接種か陰性証明必須に 企業に要請、罰金も 約8000万人が対象
    ・EU、日本から渡航制限 観光など対象、感染拡大で「ハイリスク地域」に指定
    ・「タリバンは包括的対話を」 BRICS首脳が共同宣言 アフガン和平促す
※PDFでもご覧いただけます
ico_pdf

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

以下の計算式に適切な数字を入力後、コメントを送信してください *