週間国際経済2020(40) No.251 12/20~12/31

今週のポイント解説(40) 12/20~12/31

ブレグジットで失ったもの

1.土壇場合意

イギリスとEUは12月24日、FTAなど新たな将来関係を巡る交渉で合意した。離脱移行期間は12月31日で終わる。双方の内部承認手続きを考えれば遅くとも11月中がタイムリミットだと見られていたが、交渉は難航し、交渉期限の延期を繰り返す。クリスマス・イブ合意を経てイギリス議会は30日に協定案批准を採決し、EUは欧州議会の批准が1月~2月に持ち越されたが、英EUのFTAは31日に暫定発効した。まさに土壇場だった。

ところが世界は、それほど気を揉んでいなかった。新型コロナ感染拡大でそれどころではなかったから、そうかもしれない。しかしなんと言ってもブレグジットは、アメリカ大統領選挙と並んで今年の世界的リスクのひとつだったのに、なぜ。    

落としどころが見えていたからだ。ジョンソン英首相は合意なき離脱も辞さずと豪語していたが、ずっとイギリスはそうしてEUを揺さぶってきた。でもEUはもうブレない。だからむしろギリギリで合意することで、それぞれの内部承認手続きの賛否を巡る混乱をやり過ごそうとしていた「出来レース」だったと見るのは、うがち過ぎだろうか。

2016年6月のEU残留・離脱を問うイギリスの国民投票から4年半、「ブレグジット騒動」はいったん決着した。さてイギリスは何を得て何を失ったのか、EUは何を失い何を得たのか。そしてわたしたちは、何を…。

2.ブレグジットへようこそ

BBC Newsアプリで読んだ(1月12日配信)。オランダの国境でイギリスからやってきた運転手たちがハムサンドイッチなどの食品を警備職員に没収されている様子のルポだ。EUの規制では、EU域外からの移動者は肉や乳製品の持ち込みが規制されている。オランダ当局はイギリスからの運転手に「ブレグジットにようこそ」と答えたというオチだ。

FTA合意によって原則的に「関税ゼロ」は維持された。しかし新たに通関手続きが発生する。1月11日付日本経済新聞によると、イギリスからEU域内に商品を送る際、1つの注文に必要な通関書類を完成させるのに80ポンド(約1万円)かかるという。イギリスの貿易総額(2019年)の47%が対EUだ。

また英EU域外から輸入する原材料比率が大きい製品には関税がかかるため、原産地証明の確認が必要になる。輸送する運転手も国際免許証が必要になる。かれらの大半がドーバー海峡(英仏海峡トンネルを含む)を利用する。渋滞が起きないわけがない。この時間のコストも負うことになる。

さて、EUでモノを売る企業は、それをイギリスで生産し続けるのだろうか。

3.イギリスの海から出ていけ

EU加盟国の漁船は一定の漁獲割り当てのもと自由にイギリス海域で操業できた。ブレグジットは「海域の主権回復」をイギリス漁業者に約束していた。だから漁業権をどうするかは交渉の難所のひとつだった。結果的に、EUの漁獲割り当てを25%減らし、5年半はEU漁船が自由に操業しながら漁獲割り当てを減らしていくということで合意した。

NHKのニュースを見ていると、イギリス人漁師が激怒していた。かれらは、それが理由でEU離脱を支持していたからだ。でも冷静な漁師もいて、インタビューに次のように答えていた、「われわれが今より多く魚を捕っても全部イギリス国内で売れるわけではない。EUに売るときにブレグジットで関税がかかれば利益が出ない」。

さてどちらが合理的な判断だろう。「主権」という言葉の魔力はクセが強い。

4.「私たちの運命の主導権を取り戻した」

ジョンソン英首相は12月24日の記者会見でこう語った。「主権回復」という言葉がずいぶん文学的になっていた。

12月26日付日本経済新聞の見出しは、英「条件付き」の主権回復。漁業権と並んで交渉がこじれたのは、「公正な競争環境の確保」と「紛争解決のガバナンス」だった。ここでEUはイギリスの産業政策に関与できる余地が残ったという。労働基準や地球環境、税制などで「共通の高い基準」を保つことをイギリスはEUに約束したし、政府補助金では、それで損害を受けたときには追加関税で報復できる仕組みも導入するからだ。

また、世界が注目していたEU全域で金融事業を営める「単一パスポート制度」は、FTA交渉の対象外だから、自動的にイギリスはこれを失う。ロンドンに拠点を持つ域外金融機関がドイツなどに本社を移す動きは止められないだろう。さらにEUは個人データの域外への移転を禁じているが、この問題をどう扱うのか結論は先送りされた。

ぼくは同じ日付の日本経済新聞のシリーズ記事「亀裂の欧州」の次の指摘も大切だと思う。それは、今回のナショナリズムは「ブリティッシュ」ではなく「イングリッシュ」のものだ、と。つまりスコットランドではブレグジットに同意していないし、北アイルランドはアイルランドとの国境問題に大きな不安を残すことになった。もちろんイングランド内部にも深刻な分裂が刻まれたままだ。

内部に対立、外とは分離の主権、それは誰が望んだ権利なのだろう。

5.「ようやく前に進める」、EUの本音

EU側の交渉責任者はフォンデアライエン欧州委員長だ。彼女は12月24日合意の記者会見で、こう本音を漏らしたという。EU議長国(持ち回り)のドイツのメルケル首相は、「イギリスとの将来の関係がはっきりと整えられた」と歓迎する声明を発表した。別れを惜しむニュアンスは微塵にも感じられない。

もちろん、関税回復などといった「合意なき離脱」を回避できたという安堵はあるだろう。しかしイギリスの離脱によってEUは、経済的な縮小ばかりではなく、国際政治および安全保障での影響力を大きく削がれることになる。なによりも拡大を続けてきた欧州統合に、離脱という前例を残してしまった。

しかし欧州統合推進の軸を担ってきたフランスのマクロン大統領は、「欧州の団結と強さが報われた。欧州は前進し、未来に目を向けることができる」と喜んでいる。決して強がりではないように思える。フランスにとってイギリスは、最初から最後まで「警戒すべき厄介者」だったに違いない。

6.ブレグジットで欧州統合は加速する

EUの前身ECが結成されたのが1967年、ここにイギリスが加盟したのは1973年だった。ECはアメリカからの経済的自立を目指し、これに対してイギリスは別のブロックを結成してヨーロッパ経済を分けた。その後イギリスがEC加盟を申請してもフランスはこれを拒んでいた。ドゴール大統領は、イギリスの背後にあるアメリカの影響力を警戒していたのだった。EUが結成されてもイギリスはユーロ通貨統合には参加せず、域内移動自由を保障するシュンゲン協定も調印していない。

イギリスはEUにおける「特別な扱い」を求め、大陸ヨーロッパもイギリスをつなぎ止めるためにこれを受け入れていた。そして国民投票で離脱多数となりましたから離脱します、でもヒトの移動の自由は嫌だけど、関税ゼロその他美味しいところはそのままでお願いします、それがブレグジットだった。

「主権」と言うならば、それを回復したのはイギリスではなくEUではないだろうか。

イギリスにとってEUは市場でしかなかった、言い過ぎだろうか。しかし通貨統合から政治統合を目指すEUの理念からは遠く離れた存在だった。フランスは「欧州軍」創設を主張している。フォンデアライエン欧州委員長は2020年1月に防衛産業・宇宙総局を欧州委員会に設けた。これはイギリスが一貫して反対してきた構想だ。

12月11日、EU首脳会議は7500億ユーロ(約95兆円)規模の復興基金の運用開始に見通しをつけた。ここまで来るには財政倹約国の不満や、「法の支配」を巡るハンガリーやポーランドの反発もあった。しかし、かりにこの協議にイギリスが参加していたならば、決して合意できなかっただろう。

さらにEU閣僚理事会は、EUが債券を発行して資金を調達するEU独自の財源創設を明記した法案を採択した。断言できる、イギリスはこれを絶対に認めなかっただろう。

7.「まさか」の再現は避けられた、しかし…

2016年6月、イギリス国民投票で離脱賛成が多数になったことは「まさか」だった。11月、アメリカ大統領選挙でトランプ候補が勝利したことは「まさか」だった。2020年、ブレグジットが合意なき離脱となり、トランプ大統領が再選されれば「まさか」では済まされない。でもそれは、回避できた。

今年、コロナ・パンデミックの発生前、このブログのテーマは「アトランティックの孤立」だった。想像もしなかった大きな混乱を経ながらしかし、アトランティックは孤立していった。分断と対立が支持率を生むという民主主義の退廃が、その孤立を招いた。民主主義の先生イギリスで、民主主義のお手本アメリカで。

イギリスが失ったもの、アメリカが失ったもの、それはEUが、世界が、私たちが失った大切なものだったのだ。それはコロナ以前の世界ですでに失われていたものだった。だから、パンデミックが終息すれば取り戻せるというものでなはい。

パンデミック克服のなかで取り戻さねばならない、とても大切なものなのだ。

日誌資料

  1. 12/20

    ・米政権交代前、対中規制を連発 強硬継承、バイデン氏に迫る
    ・世界株時価総額100兆ドル超 GDP2割上回る 緩和マネー過熱も <1>
  2. 12/21

    ・家計金融資産、最高の1901兆円(9月末) 前年同月比2.7%増
  3. 12/22

    ・来年度予算最大の106兆円、閣議決定 脱炭素・デジタルで成長 <2>
    ・アント、預金仲介を停止 テンセント・百度も 中国当局が指示
  4. 12/24

    ・中国、IT大手に法の網 来年にも 統制強化、独禁法改正へ
    独禁法違反でアリババを調査 技術革新を阻害も
  5. 12/25

    ・英EU、通商協定で合意 関税ゼロ維持へ 土壇場で混乱回避 <3>
    ・出生数、来年80万人割れも 妊娠届1~10月5.1%減 <4>
  6. 12/26

    ・英EU合意 企業なお警戒 通関手続き物流混乱も 金融・データ進展なく
    「急ごしらえ」不安残す 英「条件付き」の主権回復
  7. 12/27

    ・新規入国全世界から停止 変異種対応 28日から来月末 一部ビジネス往来は継続
    ・中国「利益侵害」で軍動員も 国防法改正、米制裁意識か <5>
    宇宙の軍事体制強化 南シナ海関与強める
  8. 12/28

    ・内閣支持率42%に急落 日経世論調査 不支持が逆転 <6>
    ・米93兆円対策成立 コロナ対策 トランプ氏、一転署名 <7>
    政府機関の閉鎖回避も経済に傷跡 GDP3%押し上げも ダウ平均最高値更新
  9. 12/29

    ・電動車転換 雇用減の影 ドイツで半減試算も エンジン不要、部品数半分に
    日本の自動車製造部門91万人のうち約69万人が部品産業
  10. 12/30

    ・日経平均、30年ぶり高値 デジタル・脱炭素主役 業績と乖離、危うい騰勢
  11. 12/31

    ・株式時価総額15兆ドル増 今年の世界 中銀資産10兆ドル増が支え
    ・中国とEUが投資協定に合意 車や病院事業の制限緩和
    ・英議会、EUとのFTA承認へ EUは暫定手続き完了
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