今週のポイント解説(19) 06/01~06/07
底辺への競争
1.法人税率「下限15%」合意
主要7ヵ国(G7)財務相会合が6月5日に共同声明を採択しました。そこで具体的な数字が示されたことは驚きを持って受け止められました。まずは、法人税の最低税率を「少なくとも15%」と明記したこと。次にデジタル課税、これは巨大IT企業に利益率10%を超える部分に課税し、そのうち少なくとも20%を消費者がいる市場国に課税権を与えるというものでした。
法人税率の下限については、主要国で最も低いアイルランド(12.5%)などとも妥協できそうなラインを探ったもので、決して充分な水準ではないと言えるでしょう。またデジタル課税についても細部はまとまっていません。トランプ政権はGAFA等に対する他国の課税権を拒んで協議から離脱していました。今回の数値は「アメリカがギリギリ税収増になる基準」だといいます(6月8日付日本経済新聞)。
どちらのG7合意も、これからG20そしてOECDがこれから交渉を詰める上での叩き台になったとはいえ、問題山積です。とくにデジタル課税についてはアメリカの交渉離脱を受けてフランス、イギリス、イタリアなどが独自課税を導入しています。これがGAFAにとっても複雑で、それならば統一基準が望ましいということなのですが、一度決めた税制をまた調整するにはそうとうの時間がかかるでしょう。
ですから主要国の合意とはいえそれは最小限の枠組みでしかなく、最低限の基準を示したにすぎないという評価もありうるわけです。でも、議長国イギリスのスナク財務相は「歴史的な合意」と胸を張ります。実際この基準での見直しが実現すれば、世界の法人税収は約8.7兆円増えるというOECDの試算もあります。タックス・ヘイブン(租税回避地)問題解決にも大きな前進となるでしょう。
ぼくはスナクさんの「歴史的な合意」という認識に同意します。具体的な数値目標が出たというサプライズは、それだけコロナ禍による主要国共通の財政的危機感が背中を押したことを示すと指摘されています。しかし世界各国の法人税率引き下げ競争は過去30年間続いていたのです。その転換点となるならば、今回のG7財務相会合には歴史的評価を与えられることでしょう。
2.底辺への競争
法人税率の国際的な最低税率導入は、アメリカが呼びかけたことが大きく作用しています。トランプ政権では大幅な減税を実施し、バイデン政権になってその税率を引上げようとしています。アメリカだけが法人税率を引上げれば国際競争に不利だという思惑もあるでしょう。でも、ぼくはイエレン米財務長官の4月5日の講演に注目していました。イエレンさんはアメリカの学会で権威ある労働経済学者ですが、そこで「30年間続いた『底辺への競争』」という言葉で、法人税率引き下げ競争を表現していたのです。
「Race to the bottom」は2000年頃、アメリカでベストセラーになった著書のタイトルで、トネルソンさんという経済学者が書きました(ぼくは邦訳要旨しか読んでいません)。グローバリゼーションによる激しい自由化の波によって、世界は法人税率引き下げ、労働基準や環境基準などの規制緩和を競い、その結果、中間層が崩壊し、かつ全体としての社会福祉が最低水準に限りなく落ち込んでいく様に警鐘を鳴らした労作だと評価されています。
実際過去数年間で世界の上場企業純利益は1.5倍近くに増えているのに、法人税収の対GDP比はほぼ横ばいで推移してきました。とくにトランプ減税は、アメリカの法人税収を大きく減少させて福祉関連予算を削減させ、しかし減税の恩恵を受けた大企業は投資や雇用にそれを振り向けるのではなく、自社株買いなどで株価を引上げて富裕層とその恩恵を分かち合い、結果社会格差を広げていったのです。
3.アメリカの自由化圧力と構造改革
前回のポイント解説「加速する少子化と経済格差」では1990年代半ば以降、第3次ベビーブームどころか労働市場の規制緩和によって雇用の非正規化が急加速したことを見ました。これも国際競争力のかけ声のもとでの、「底辺への競争」の始まりだったわけです。
当時東西冷戦が終結し、ソ連が崩壊して唯一の超大国をなったアメリカは、「グローバル・スタンダード」なるものをでっち上げます。アメリカのシステムやビジネス慣習が世界標準だと言いだし、世界に対して「構造調整」という「自由化・規制緩和・民営化」圧力を強めていきます。1993年には「日米包括経済協議」が設置され、その翌年から「年次改革要望書」(アメリカ通商代表部による日本の規制改革および競争政策に関する要望)の交換が始まりました。労働派遣法改正、郵政民営化、不良債権認定基準などが「要望」されました。
これが小泉構造改革の本質でした。小泉さんは「市場でできることは市場に任せる」と連呼し、ぼくは暴論だと思いましたが、世論はこれを圧倒的に支持しました。また安倍政権のアベノミクスは40%台だった法人税率を23%台にまで引き下げました。国際競争力最優先(すなわち大企業最優先)政策は、政府によるあるべき保護を切り崩し、その発想は今も菅さんの「初めに自助ありき」に引き継がれています。
コロナ禍でも日本政府の政策優先順序には納得できないものが多いと思います。弱者切り捨てとまでは言わなくても、後回し感は否めません。世論が分かれる中でのオリンピック開催最優先、それは大企業利権優先ではないと、主催者たちは私たちに対して納得のいく説明ができるでしょうか。
4.民主主義の危機
「底辺への競争」は各国の財政規律を弛緩させ、バラマキ型ポピュリズムの台頭を許しました。前例のない金融緩和の継続も相まって政府は財政赤字拡大に鈍感になり、それは経済主体としての政府の役割、つまり「財政」を弱体化させていきます。財政は、まず公共財・サービスの生産を担っています。公共財は価格メカニズムでは生産量が決定されない生産物です。財政の弱体化のなかで公的医療機関や教育、福祉関連行政が切り詰められていきます。
財政は次に、所得の再分配に責任を持ちます。所得の大小は企業や個人の努力以外の要素に大きく左右されます。それはコロナ禍で浮き彫りにされた不条理からも明らかです。そして財政赤字の増大は、新規予算における国債償還負担を過重なものとし、新たな政府投資を萎縮させます。例えば環境問題やデジタル化への対応の遅れがそれです。
議会制民主主義とは「税の集め方と税の使い方を納税者の代表が議論する場」です。法人税率引き下げによる「底辺への競争」は、民主主義に対する信頼を大きく毀損してきたのです。同時にこれは資本主義そのものをも不健全なものに堕落させてきました。企業は雇用と地域社会に対する責任を放棄し、ただひたすら株主に奉仕するようになったのです。
5.これを転換点とするために
財政は、本来の役割を取り戻さなくてはなりません。法人税の最低税率を15%に定めることの合意は、ささやかであり不十分であるとは思いますが、「底辺への競争」を食い止めようとする合意ならば、それは「歴史的な合意」と呼ぶべきでしょう。
そこで留意すべき点を4つ挙げておきたいと思います。第一に、法人税率下限設定は、デジタル税およびタックス・ヘイブン問題と合わせて国際的合意を積み重ねていかねばなりません。とりわけインフレ圧力の高まりによって金融緩和政策が曲がり角を迎えようとしているなか、公的債務償還負担は強まるでしょう。税収の確保は喫緊の課題です。
第二に、法人税率下限設定は新興国、とくに最貧国に対する例外規定、移行期間などの配慮が不可欠です。税制優遇による企業誘致はこれらの国々の雇用にとって、また財政において死活的問題のひとつです。そしてこれらの国々はその財政力の弱さからワクチン接種も進まず、いっそう深いコロナ禍に陥っているのですから。
第三に、「底辺への競争」は不当ともいえる富の偏在をもたらしました。その富の再分配が求められます。富裕層所得税課税および異常な資産価格上昇に対するキャピタルゲイン課税が法人税率下限とともに議論されるべきでしょう。
第四に、法人税率引き下げ競争は、労働基準および環境基準などの規制緩和と併走してきたものですから、これらの規制見直しが国際協調によって進められなければなりません。
「底辺への競争」によって切り捨てられてきた人々をまた、「底辺からの脱出」で捨て置いてはならない。そうした過去への反省と将来への覚悟がポスト・コロナの国際的合意として形成されていくこと、それは理想主義的な夢物語ではなく、差し迫っているリアルな政策的課題なのです。
日誌資料
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- ・G7(主要7ヵ国財務相会合)、税収減で危機感共有 <6>
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