今週のポイント解説(20) 05/31~06/06
求人倍率と実質賃金
1.良い情報、悪い情報
政治家に限らず責任ある立場の人が「良い情報」だけを選りすぐってそれを自らの手柄としたい気持ちを責める気にはならない。そこは顔を立てながら「悪い情報」を突きつけて責任を問うという議論もまたその意義を認めよう。ただ、「悪い情報」をあたかも「良い情報」であるかのような錯覚を与えてしまうことは、これを受け入れることができない。責任ある態度だとは思えないし、今後の政策の是非の判断に誤りをもたらすからだ。
安倍首相は6月1日の増税延期記者会見でこう述べていた。「1年半前の総選挙で私は来年4月からの消費税率引き上げに向けて必要な経済状況を作り上げると約束した。そしてアベノミクスを強力に推し進めてきた」、「現在有効求人倍率は24年ぶりの高い水準にある」、「賃金アップについても今世紀に入って最も高い水準の賃上げを実現することができた」。
成果は、雇用と賃上げだと。昨年までは企業収益、株価などが成果とされていたが、雇用と賃上げが前に出た格好だ。企業収益のトリクルダウン効果や株価と景気の関係がいかに怪しげなものであるかについては何度も指摘してきたのだが(そして今年になってからその両方とも芳しくなくなった)、雇用と賃上げが順調ならばその経済政策は合格点をクリアしていると認めよう。消費を押し上げデフレを克服しかつ財政健全化に資するだろうから。
記者会見ではこの雇用と賃上げに関する直近のデータが示されたという。この分野は厚生労働省の管轄だ。厚労省は会見前日の5月31日に4月の有効求人倍率を、6月3日に4月の毎月勤労統計調査を発表した。
なるほど求人倍率は1.34倍で24年ぶりの高水準だ。実質賃金は0.6%増で3カ月連続のプラスだ。この数字情報をスマホやテレビで見聞きしたならば、それがアベノミクスの成果だと感じてもなんら不思議はない。「良い情報」だろう。しかしこの情報に対する日本経済新聞の見出しは、求人倍率については「景気弾まぬ雇用改善」、実質賃金については「消費押し上げ力不足」だった。
つまり、それほど「良い情報」でもないというニュアンスだ。欲を言えばキリがない。そう、それが「悪い情報」ではない限りにおいてだ。果たしてそうなのだろうか。
2.有効求人倍率24年ぶりの1.34倍
24年前の1991年11月といえばバブル崩壊が始まった時期だとされている。その月の求人倍率が1.34だった。もちろん「バブル崩壊の始まり以来の高水準」とは言わないだろう。縁起が悪い。ただ、この数字だけで「良い情報」とは言えないということくらいは補足できるだろう。求人倍率は高ければ良いというものではなさそうだという判断を提供できるからだ。
厚労省のホームページを開くと「職業安定業務統計」があって、これをクリックすると「一般職業紹介状況」に行くことができる。そう、有効求人倍率とは全国のハローワークで仕事を探す人(求職)1人あたり何件の求人があるかを示すものだ。2013年には1を切っていた(0.97倍)。2014年に1.11倍と求人が求職を上回った。2015年には1.23倍と高まった。
さて、求人はもちろん増えている。2014年は5.5%増、2015年は5.1%増というように。問題の第一は求職者の減少だ。2014年は7.6%減、2015年は5.3%減というように。そして昨年末以来求人はそれほど増えてはいないのだが求職者数が持続的に減少していることを知ることができる。つまり分母が小さくなって倍率が大きくなっているのだ。
第二に、正社員の求人倍率は0.85だから、人手不足はパート労働に表れている。
第三に、職業別に見ると「事務的職業」の倍率は0.36と極めて低い。高いのは「サービス業」の2.67(家庭生活支援3.12、介護サービス2.69)と高齢化社会を反映しており、接客・給仕3.56とこれは訪日外国人急増を反映しているといえる。また「建設・採掘」も2.84と高くなかでも建築駆体工事が6.53とひときわ高くなっている。震災復旧、オリンピック関連、防災工事などの急増を反映しているのだろう。
そして第四に、倍率ではなく実際の就職数を見ると4月は前年同月比で紹介件数が15.5%減って就職件数も10.7%減っている。
さて、これらは雇用改善を示す「良い情報」なのだろうか。倍率は上がっているが、雇用の量も質も低下していると言えないだろうか。それは「悪い情報」だろう。さらに24年前とは決定的に違うのは生産年齢(15~64歳)人口の減少だ。これが約8600万人から7600万人へと約1000万人も減っているのだ。
やりたい仕事が見つからないといった「ミスマッチ」も深刻だが、より深刻なのは労働人口の減少による市場の縮小なのだ。こうした深刻な情報が「良い情報」と認識されているのだとすれば、正しい政策を選択することは困難だろう。
3.実質賃金上昇
安倍首相は「今世紀に入って最も高い水準の賃上げを実現することができました」と胸を張るのだが、いったい何を指して言っているのだろう。世間に広く知られている情報は、実質賃金が5年連続でマイナスとなり5年間で5%下落しているということだ。このギャップはなんだろう。安倍首相は大企業が3年連続でベースアップを実施したこと、そして厚労省が集計した資本金10億円以上かつ従業員1000人以上の大企業の賃上げについて語っているようだ。
求人倍率のところでみたように、需要(求人)が供給(求職)を上回っているから労働市場の価格である賃金は上昇しなくてはならないと考えられる。しかし4月の実質賃金上昇率は0.6%にすぎない。それも現金給与総額(名目賃金)は0.3%しか増えていない。消費者物価が同月に0.3%下落したことが押し上げただけのことだ。
これもまた「良い情報」と言えるのだろうか。所轄の厚労省のホームページから詳しく見てみよう。「報道関係者各位」というプレスリリースが掲載されていた。賃金は、現金給与総額は報道されているように前年同月比0.3%増、うち一般労働者は0.7%増、しかしパートタイム労働者は0.8%減となった、とある。そして雇用は、就業形態別に前年同期比をみると一般労働者が1.8%増、パートタイム労働者が2.3%増となった、とある。
これは「格差拡大」という問題をはっきりと示している。パートタイム労働比率は増加している。パートタイム求人倍率は異常に高い。しかしパートタイム労働の賃金は、全体としては減っているのだ。
4.「悪い情報」に向き合う政策を
雇用と賃金を「良い情報」としてはならない。そうする限りデフレ克服の政策は生まれない。現在日本の潜在成長率はわずか0.2%にすぎない。世界銀行は6月7日、最新の世界経済見通しを公表した。日本は0.5%成長にとどまると予測した。これはIMF(国際通貨基金)見通しと同じ数値だ。そして「労働人口の減少が成長の重荷になっている」と分析している(6月8日付日本経済新聞)。
労働市場は萎縮している。人手不足が深刻になり、その結果として求人倍率は高い水準になっている。それでも賃上げは消費を押し上げるにはほど遠い状況だ。非正規雇用の比率が高まり、それも賃金水準の低い分野に広がっている。
サプライズ的な金融緩和政策や国際社会の反発を買う為替介入政策、選挙目当ての財政支出などとは違ってこの問題は、つまり労働市場縮小、賃金格差拡大、不安定雇用の拡大、それからくる生産性の停滞という問題は、中長期にわたる抜本的な政策が求められているのだ。
次の日本が問われているのだ。
図書案内
『18歳からの民主主義』、岩波新書編集部編、岩波新書 (840円+税)
『貧困世代』、藤田孝典、講談社現代新書 (760円+税)
今年の6月から有権者年齢が18歳に引き下げられます。この夏の参議院選挙は18歳以上が参加する最初の国政選挙です。全国の高校で国会や選挙についての授業、あるいは模擬投票などを通じて民主主義への理解を高める取り組みが行われているとメデイアは伝えています。
先週の授業でふと、「だから今の大学生は高校生より知らんこと多いやろね」と呟いたのですが、それでいいはずがありません。なにか都合の良い読み物はないか探してみるとすぐにこの本に当たりました、『18歳からの民主主義』。
Ⅰ 民主主義のキホン(なぜかカタカナです、まぁいいか)。議会、選挙、税金についてコンパクトにまとめられています。
Ⅱ 選挙。ここがポイント! 憲法改正、景気、教育、少子高齢化、医療、エネルギーなど、国政選挙で候補者公約に掲げられるだろう事柄について解説がされています。これはなかなか勉強になりますね。「知ったかぶり」が激減します。
Ⅲ 立ち上げる民主主義! ここまでもそうですが、ここからは平和と民主主義を何よりも大切にする「岩波」色が全開です。もちろんぼくは好きですが、最近こうした論調はテレビでも売れ筋の新刊書でも少なくなっていますから、読めば知的栄養のバランスがとれそうです。
消費税率引き上げ延期のところで自民党のある重鎮議員さんが「次の世代より次の選挙」と嘆いていたという話を紹介しました。みなさんは自身の「世代」をどのように考えていますか。希望より不安のほうが大きいのではないですか。失礼ですが、それでも政治に関心がないのは危機感が足りないからではないでしょうか。
そこで危機意識を刺激する本を合わせて紹介することにします。『貧困世代』、著者の藤田さんは『下流老人』という流行語を生み出した方です。ぼくが共感する部分は「悪いことに若者たちは支援が必要な存在だと認識されておらず、社会福祉の対象としては扱われてこなかった」という現状認識です。経済学的に言えば投票率の低い世代には税金は使われません。自業自得というところでしょうか。
しかし藤田さんは事態はもっと深刻だと言います。「彼ら(若者たち)は自力ではもはや避けようがない、日本社会から強いられた貧困に直面している」と指摘します。そしてブラックバイトと奨学金問題、住宅問題など具体的な事例から警鐘を鳴らしています。
ふと、「今どきの学生は」と嘆く大学の先生に読んでもらいたいとも思いました。脅かすだけではなく興味深い具体的な提言も多く盛り込まれており、とても勉強になりました。
漠然とした不安より、具体的な実践を求める危機感のほうが前向きになれると思います。日本がダメになったわけじゃくて政策が間違っているのです。それは政治家だけの責任でなくて選挙権を放棄する世代にも責任があります。
「悲観は気分、楽観は意思」というのはアランの言葉です。気分と意思の違いについてこれからもいっしょに考えていきたいと願っています。
日誌資料
05/31
・求人倍率1.34倍に改善(4月)24年ぶりの高水準 景気弾まぬ雇用改善
ミスマッチ一段と 女性や高齢者中心 生産年齢人口減る 人手不足深刻に
06/01
・米個人消費支出1.0%増(4月)6年8か月ぶり高い伸び 利上げ材料に
・インド2年連続7%成長 昨年度7.6% <1>
堅調な消費がけん引 成長率、中国を大幅に上回る
06/02
・消費増税延期を表明 首相「世界経済リスク備え」(1日) <2>
2019年10月に10% 「参院選で信問う」
・ブラジル、経済再生は多難 8四半期連続マイナス成長 1-3月期5.4%減
歳出抑制景気下押しも 政治の混乱収まらず
・ギリシャ、付加価値税上げ 緊縮策、経済に重荷 成長の道筋なお描けず
・日経平均一時400円下げ 円上昇、東京で108円台後半
消費増税延期、政策材料出し尽くしの見方広がる 株安・円高に急旋回
06/03
・欧州、金利据え置き ECB理事会 3月緩和効果を見極め
・OPEC生産目標見送り 原油生産凍結せず 協調体制模索続く
06/04
・米雇用3.8万人どまり 5月急減速 円急伸106円台 市場、早期利上げ疑問視
5年8か月ぶり低水準 大手ストも追い打ち 米長期金利は急落
FRB理事 米利上げ「待つのが有益」 雇用減速で慎重姿勢
・自民、参院選公約を発表 「デフレ脱却を加速」 <3>
「あらゆる政策を総動員しアベノミクスのエンジンを最大限ふかす」
・英司法相「EU離脱が雇用守る」 TV番組で支持訴え
06/05
・円高・株安進行を警戒 米雇用減速、利上げ観測後退 円相場105円焦点
金融市場、6日イエレンFRB議長講演に注視
・「中国は孤立」で米中応酬 南シナ海巡り <4>
アジア安全保障会議(シンガポール、4日)
・欧州難民危機、収束遠く 伊めざす経路流入拡大 トルコ経由は激減 <5>
クレタ島沖で密航船沈没 排外主義台頭、政治の火種に
06/06
・米中戦略・経済対話開幕(北京)習氏「投資協定、合意へ全力」
南シナ海、鉄鋼過剰生産巡り応酬 温暖化対策は協調
・増税再延期での家計支出「変わらない」81.7%「減る」9.9%(日経調査)<6>
先行きへの不安から節約志向根強く
・為替介入「避けるべき」 米財務長官、日本をけん制