今週のポイント解説(17) 05/26~06/01
天安門広場の風景
1.その前と、その後
ぼくは2回、北京を訪れたことがある。1回目は1988年、2回目は1990年。そう1989年天安門事件の前の年と、次の年だ。
1988年の夏。昼間に紫禁城(故宮)を見学した。たしかこの年から楼閣の見学が許されたと思う。毛沢東の遺体は観に行かなかった。ガイドをしてくれた北京大学の先生もそこに誘うこともなかった。死後10年余り、たいへんな出来事を経て、すでに毛沢東は「過去の人」なのだと感じた。
後日また夕方に尋ねた。観光客で溢れた昼間とは違って、多くの市民が夕涼みに来ていた。まだ裕福な人がほとんどいない頃だけれど、皆健康そうで身なりも清潔だった。家族連れが多かった。とても幸せそうに見えて、ぼくはうれしかった。
その翌年6月、天安門事件を報じるテレビの前に、ぼくは釘付けになっていた。去年の思い出だけではない、いろんな思いが音を立てて崩れていくことを感じた。
そしてまた、その次の年に、ぼくは天安門広場の前に立った。衛兵なのだろうか、軍服を着た兵士が等間隔で広場を背にしていた。微動だにしない。眼球も動いていないかの様子で、正面を見据えていた。広場のなかには誰もいない。
2年ぶりに再会した北京の知己たちは、誰もその話はしない。戦車のキャタピラの跡が刻まれた道路の脇を歩き、日差しを避けるために建物の軒下に寄ると壁には弾痕が残っている。そのたびにぼくは息を呑むのだが、やはり誰もその話はしない。
まったく別の広場に、ぼくは居た。その空気の重さで、風景が歪んで見えた。
2.毛沢東を蘇らせる米中貿易戦争
昨年の夏、毛沢東の遺体を安置している「毛主席記念堂」を、北京市がユネスコ世界文化遺産への登録を目指す方針だというニュースに接した。30年前、ぼくはそこへ誘われもしなかったのに。
アメリカの中国へのハイテク製品禁輸以降、中国では「自力更生」のスローガンが目立ち始めた。習近平さんは「核心」と呼ばれるようになり、その習近平さんは米中貿易戦争が過熱する中、「持久戦」、「長征」を唱えるようになった。そう、どれも毛沢東関連用語だ。
1960年代末の毛沢東による文化大革命によって共産党幹部だった習近平さんの父が失脚し、自身も「下放」された。下放というのは都市部の青年を地方農村の肉体労働で思想改造をするという過酷な経験だ。恨んでいるかどうかはわからないが、習近平さんが毛沢東に親しみを感じているとは思えない。
その習近平さんは抜擢に次ぐ抜擢で頂点に登り詰めたこともあっって、政敵も多い。反腐敗運動で膨大な数の共産党幹部たちを葬り去ったことで、習近平体制は固められた。さぞかし、それまで既得権益層の不満は膨らんでいたことだろう。
そこにトランプさんが貿易戦争を仕掛けてきた。台湾問題にも露骨に介入する。共産党保守派たちが失地回復を開始する大義名分が生まれた。米中通商交渉は改革派によって進められていたが、アメリカによる構造改革要求とファーウェイ制裁は保守派台頭の決定的な契機となったと見られている。
4月までの対米交渉は、習近平さんの側近で改革派の劉鶴さんが担当していた。しかし劉さんがまとめた米中合意案を保守派は「内政干渉を明文化する不平等条約だ」と反発した。アヘン戦争の南京条約を初めとする不平等条約からの解放は、中国共産党の原点だ。
米中合意案はその重要部分の大半が削除されてアメリカに送り返された。トランプさんは「中国が約束を破った」と怒って、制裁を過熱させていく。これが中国の態度をさらに硬くする。習近平さんは、米中貿易戦争について毛沢東関連用語を連発するようになる。
つまり米中合意案の修正は、アメリカとの約束云々ではなく、習近平さんの保守派への譲歩だったのだ。毛沢東関連用語は、彼ら保守派との対話のキーワードなのだ。
3.胡耀邦と趙紫陽
中国で改革派と言えば、この二人だ。そして天安門事件と言えば、この二人だ。1980年代になって改革開放に向かう鄧小平の両腕だった。
胡耀邦は総書記に就任した(1980年)直後にチベットを訪れ、中国共産党のチベット政策の失敗を謝罪し、関連政治犯を釈放し、信教の自由を改めて保証した。日中友好にも尽力し、言論の自由化も推進した(百花斉放・百家争鳴の再提唱)。こうした改革が保守派の反発を買い、1987年に降格され、1989年4月に心筋梗塞で倒れ、そのまま亡くなった。この胡耀邦追悼の学生デモが天安門事件の始まりだった。
その胡耀邦を継いで総書記に就いたのが相棒の趙紫陽だった。学生デモは「理にかなった要求」であり、「我が国の民主的制度の不備が腐敗をはびこらせた」と理解を示した。その後天安門広場でハンストを始めた学生たちの前に立ち、「来るのが遅すぎた。申し訳ない」と拡声器を手に8分間、涙を流しながら訴えた。その後、解任され軟禁された。
その後の中国共産党が、この二人を歴史の闇に葬り去ったというわけではない。2010年頃の温家宝首相は胡耀邦を「師」と仰ぎ、人民日報に回想記を発表した。江沢民時代には黙殺された。胡錦濤も、触れずに避けた。
しかし習近平政権は、2015年11月の胡耀邦生誕100周年に人民大会堂で記念座談会を開き、そこには指導部全員が出席した。習近平さんは演説で胡耀邦を「偉大な革命家で政治家」と讃え、学ぶべきだと評価した。
改革と保守の抗争は、どこの国にも見られることだ。だた、中国ではそれが激しい「乱」を伴うことが多かった。改革の時代も保守の時代も、内部では大きく揺れている。トランプさんはそんなこと何も知らないし、興味もないのだろう。
4.トランプ政策は世界の改革の芽を摘んでいる
つまりトランプ政権は、中国に改革を要求しながら、中国の保守派の台頭を促しているのだ。制裁を受けた国で、改革を拒む既得権益層の発言力が強まる現象はイラン、ロシア、北朝鮮、トルコなどでも見ることができる。ヨーロッパでも排外主義的なポピュリズムを刺激し、EU改革を手詰まりに追い込んでいる。
アメリカに言われるまでもなく、中国の経済構造改革は習近平執行部にとって最大課題のひとつだった。強大な既得権益にメスを入れることはかなりの難題だ。胡耀邦再評価の動きもその脈絡のなかでとらえるべきだと思う。
天安門事件30年の6月4日、中国当局は徹底した情報統制と遺族らへの監視強化で、追悼活動を完全に封じ込めた(6月5日付日本経済新聞)。中国共産党機関紙系の環球時報(英語版)は、「89年の事件をコントロールしたから、中国は旧ソ連やユーゴスラビアのようにならなかった」という社説を掲載した。シンガポールの国際会議で中国国防相は2日、軍が事件を鎮圧したから成長したいまの中国があると強調した。
習近平さんが米中貿易戦争を、日中戦争時の「持久戦」や国民党との内戦時の「長征」になぞらえるのも、内部の引き締めを強化する意図がうかがえる。実際にアメリカの対中制裁は、中国経済の急減速をもたらし、中国国民の反米感情を刺激するだろう。
ぼくの心が痛いのは、中国の人々のアメリカへの幻滅が、民主化を遠ざけてしまいかねないことだ。あれから30年、今も中国では人権と言論の自由を求めて、少数民族の自治を求めて不屈の戦いを続けている人々がたくさんいる。
トランプさんは、アメリカの大統領として、女性蔑視、人種差別、排外主義、司法軽視、言論攻撃を止むことなく繰り出す。アメリカの民主主義とは、そんなにもろいものなのか。中国の民主化は、これからも孤独な道なのか。
天安門での学生デモは、ゴルバチョフ(当時ソ連書記長)訪中で世界中のメディアの耳目が集中する中でヒートアップした。学生たちは国際世論に訴えたのだ、そう「五・四運動」のように。しかし現在の国際世論は、トランプ・パフォーマンスによって四分五裂している。
マレーシアのマハティール首相が日本で開かれた国際会議で基調講演をし、そのなかで「2頭の大きな象に踏みつけられるのは草だ」と、米中貿易戦争に自制を求めた。ここで「草」とは周辺国の経済を意味しているのだが、「踏みつけられる」のは「人々」だ。
ぼくは、また天安門を訪れることがあるだろうか。あるとしたら、それはどんな風景なのだろうか。その風景に希望を持つことは、中国のみならず世界の、今もぼくにとっての未来予想図のひとつなのだ。
日誌資料
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05/26
- ・日米閣僚級貿易協議(25日)車・農業溝埋まらず「首脳間も合意難しく」<1>
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05/27
- ・日米交渉巡りトランプ氏「7月の選挙後まで待つ」(26日ツイッター)
- 26日トランプ氏来日 日本満喫 ゴルフ・大相撲・炉端焼き…
- ・日米首脳会談 貿易交渉「8月に発表」とトランプ氏 <2>
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05/28
- ・日米首脳会談「蜜月」深化も貿易の影 「8月発表」駆け引き
- 安倍首相「世界で最も緊密な同盟」 トランプ氏「TPPと関係ない」
- 条件なし日朝会談支持 安倍首相イラン訪問容認
- ・米大統領、自衛隊艦船に初の乗船 日本のF35購入評価「力による平和必要」
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05/29
- ・米、為替監視9ヵ国に拡大 貿易不均衡解消へ圧力 中国「操作国」見送り
- ・中国、レアアース輸出言及 貿易協議、米けん制に利用か <3> <4>
- 習氏「重要な戦略資源」禁輸示唆 米、輸入の8割依存
- ・米長期金利 1年8カ月ぶり低水準 2.26%に下げ、米景気に懸念
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05/30
- ・トランプ氏のロシア疑惑 モラー特別検察官 米議会が責任追及を
- ・マハティール首相(マレーシア)「ファーウェイ技術使う」 米中に自制求める
- ・デジタル法人課税新方式 IT利用者多い国に税収配分 G20が方針一致へ
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05/31
- ・米、メキシコに追加関税 不法移民対策促す <5>
- 6月10日から輸入品すべてに5% 対応次第では最大25%まで
- 日本勢、集中投資先に暗雲 車各社、米向け供給の要
- ・日経平均2万1000円割れ 貿易摩擦、ハイテクに懸念 営業益下げ見方広がる
- ・ブラジル、マイナス成長 1-3月9四半期ぶり、0.2%減 消費・製造業が不振
- ・タイのデジタル経済社会相「ファーウェイを排除せず」
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06/01
- ・米中、関税合戦激化 互いに発動、最大25%に <6>
- 米、1日以降到着する中国製品に25%の税率を全面適用
- 中国、持久戦も覚悟 対米報復関税引き上げ LNG(液化天然ガス)など25%
- 代替困難品を除外 取引制限リスト作成
- ・米関税で世界貿易急変 対米輸出 中国から生産移る 「迂回」で産地偽装も
- 対米輸出、中国減り ベトナム・メキシコ急増
- ・米産業界、政権提訴を検討 対メキシコ関税に反発
- ・NY株急落、354ドル下げ 5月1700超安 米関税に懸念
- ・インド、6.8%成長どまり 昨年度5年ぶりに7%下回る 農業・製造業落ち込む
- ・トルコ、2四半期連続マイナス(1-3月) 通貨安インフレで消費、投資落ち込む