今週のポイント解説(28) 10/07~10/13
誰がルールを決めるのか
1.オバマ大統領「中国のような国に」
TPPのいわゆる大筋合意が発表された5日、オバマ米大統領は声明を発表し「中国のような国に世界経済のルールを書かせることはできない」と語ったと報道されました。なぜここで中国、唐突な感じでした。ましてや「中国のような国」、「あんなやつに」って印象を受けた人も多いと思います。
ホワイトハウスの公式サイトを開いてみると ”we can’t let countries like China write rules of the global economy” とあります。さらに違和感が強まったのはこれに続く言葉です、”We should write those rules”「我々がルールを書く」と。このWeはアメリカです。TPP参加国のことではありません。こう続きます”opening new markets to American produkts”そう「米国製品の新たな市場を開くために」です。
これは「Statement by the President on the TPP」です。つまりオバマ大統領にとってTPPとはアメリカ製品の新たな市場を開くためにアメリカがルールを書いたものであると公式声明で述べているわけです。そして(さもなくば)中国が世界経済のルールを書くかもしれないという危機感を表しているわけですね。ぼくはTPPとはいったい何だったのかがわからなくなるほど違和感を覚えました。
2.TPPは中国包囲網なのか
そうではない、とアメリカは言い続けてきました。USTR(通商代表部)も大統領補佐官も否定してきました。当然でしょう。アメリカがTPP参加を決めたのが2010年、2期目を迎えたオバマ政権の「輸出倍増計画」に基づくものでした。しかし当時のTPP参加国とアメリカとの貿易量は全体の5%以下です。輸出を2倍にするには日本だけではなくどうしても中国を取り込まなくてはなりません。
かりにTPPが中国を疎外した通商ブロックだとしたら、米中間の軍事的緊張は厳しいレベルにまで高まっていたでしょう。だからこそアメリカはことある度に、そして米中首脳会談でもTPPが中国に対してオープンなものであることを強調してきたのです。
そしてすでに中国はTPPに参加する大半の国とFTA(自由貿易協定)を締結しています。オーストラリア、ニュージーランド、シンガポール、ASEAN、そしてペルー、チリ。TPPはこの中国FTAネットワークから中国だけを切り離すことはできないのです。
3.中国のような国、アメリカのような国
中国であれアメリカであれ、そもそも「世界経済のルール」とはどこかの国が書くものではありません。もちろん大国が決めるものでもありません。どれだけ経済規模が小さな国でも相互利益に基づいて築き上げられていくものです。
これを大前提にして、ではアメリカのいう「中国のような国」とはどのような国だと見ているのでしょうか。アメリカが不満を表しているおもな問題は「為替操作」、「補助金」、「国有企業」です。これらが「公平な競争」を妨げアメリカに大きな損失を与えているとしています。背景にあるのはアメリカが抱える巨大な対中国貿易赤字です。
(1)為替操作
いわゆる「人民元問題」です。アメリカは中国はその経済的実力からみて人民元の対ドルレートが不当に低く抑えられていると考えています。つまり人民元が安すぎて対米輸出が増えていると。たしかに人民元はドルと連動して為替レートが変化するように管理されています。アメリカに輸出するにも海外から投資を受けるにも人民元の対ドルレートが安定していることが大切だからです。
アメリカはかつて日本に対しても韓国に対しても、つまり対米輸出を増やしている国に対して為替レートの切り上げを要求してきました。円高にしなさい、ウォン高にしなさい、今回は人民元高にしなさいと。和食が韓国料理が中国料理が安すぎるからアメリカは食べ過ぎて赤字になったのだという理屈です。しかし問題はアメリカの貯蓄の低さ(過剰消費)と競争力の低さだとぼくは考えています。
問題の人民元ですが、ドルと連動しているわけですから最近のドル高につられて人民元高になってきました。中国は人民元の国際化のためにこれを容認し、アメリカも批判を抑えるようになってきました。8月の人民元切り下げも前日終値を基準にするということですからIMFも「改革」だと一定の評価を与えています。
さて、ぼくはアメリカが他国の通貨政策に文句を言える筋合いはないと考えています。ドルは基軸通貨です。国際通貨を安定させるために本来基軸通貨国には規律ある金融政策が求められます。しかしアメリカはあるいはどの国よりも大幅な金融緩和、金融引き締めを繰り返してきました。とりわけリーマンショック以降は異例の量的緩和によって大量のドルを供給してきました。現在の「利上げ問題」もこのアメリカ金融緩和の反動が世界経済の不安定要因になっているのです。
(2)補助金
米中間で貿易摩擦が起こりWTO(世界貿易機関)提訴にまで発展してきたのが補助金問題です。2012年には中国の自動車部品に対する補助金について、最近では今年の2月やはり中国の繊維など7分野に対する補助金についてこれが不当であるとアメリカはWTOに提訴しています。これらはWTOのルールに基づいてそれぞれ言い分をたたかわせればいいことです。アメリカがこの問題で訴えている相手は中国だけではありませんし。
まだ競争力が育っていない途上国産業に対して政府が補助金で支えることは、過去のどの後発国も採用してきた政策です。そうして先進国になってきたのです。だからといって行き過ぎた補助金政策は戒められなければなりません。だから問題になっているのです。ただ問題になっていない「補助金」、つまり政府による産業支援があります。例えばアメリカの医薬品メーカーに対する研究開発費支援です。
TPP交渉でもアメリカの新薬データ保護期間が合意の壁になっていました。アメリカの医薬品分野での世界的シェアは圧倒的です。この分野はアメリカ産業というよりも世界の巨大医薬品メーカーがアメリカに集まっているというべきでしょう。アメリカは新薬開発に15兆円もの国費を投じていいると言われています。途上国にはそもそも新薬を開発する資金がありません。TPP交渉はアメリカが医薬品世界企業の利益を守るために難航したのです。医薬品は農産物や自動車と違いエイズ薬など人間の生死に関わる分野です。アメリカ以外の大半の国の社会保障に関わる分野です。多国籍企業利潤の最大化のために通商交渉を進める、それが「アメリカのような国」なのです。
(3)国有企業
生産手段の国有化が社会主義です。したがって中国に限らずかつて社会主義を掲げていた国の工業化は例外なく国有企業によって担われてきました。TPPに参加するベトナムも工業生産の20%程度が国有企業によるものです。アメリカに批判されるまでもなく、これらの国にとって国有企業改革は優先順位の高い政策課題となっています。過剰投資など資源効率が悪く、また腐敗の温床にもなってきました。
習近平政権も「反腐敗運動」とも絡めて国有企業改革を掲げてきましたが、これがなかなか本格的に着手できないでいます。既得利益層との権力闘争の側面もありますが、何より「雇用」と結びついているからです。ただ民営化して効率を追求すれば大量の失業を生み社会的不満と内需の低迷をもたらすからです。
さて、国有企業は社会主義経済に特有な現象でしょうか。ほとんどの資本主義先進国も工業化の初期には公的セクターの役割が大きかったという歴史があります。そして歴史だけではありません。
例えばリーマンショックによってアメリカ最大の製造業企業であったGM(ゼネラル・モーターズ)が経営破綻しましたね。莫大な財政支援によって再生を図りすべての株式をアメリカ政府が保有する、所有形態からみればいわば国有企業として再建されました。そのGMの驚異的な復活の原動力が対中輸出(と投資)だったわけです。もちろん中国はそれが国有企業だから不公正だとは言いません(言えません)。
4.なぜ今、中国名指しなのか
このようにアメリカのような国が「普遍」で中国のような国が「異様」だと決めつけることで、オバマさんが言う”the rules of the global economy”を書くことはできません。世界は多様であるからこそ相互依存による発展を遂げてきました。Partnershipとはその多様さを尊重してこそ国際分業の利益を実現できるのです。超インテリのオバマさんがそんなことを知らないとは思えません。でも賢明なオバマさんは知っています。そう、TPP大筋合意はアメリカ国民にもたいした利益を与えないのです。
問題は「誰がルールを書くのか」ではなくて、「TPPはアメリカの輸出を増やし、雇用を増やすのか」です。これが大統領選挙前であるならなおさらです。中国を持ち出した第一の理由は、今回の合意ではアメリカの雇用は増えないからです。
例えばアメリカは日本に無関税のコメを5万トン輸出できるようになりました。アメリカは日本に関税を4%低く牛肉を輸出できるようになりました。アメリカの日本への自動車輸出はとっくの昔にゼロ関税です。なのに日本車の輸入には関税を課してしましたが、その2.5%を25年かけて撤廃します。まだまだあります、ブロッコリーは3%の関税がなくなります。スィートコーンだって6%の関税が4年目からなくなります。
もうやめましょう。それでアメリカの雇用はどれほど増えるのでしょうか。ちなみにアメリカの8月の貿易赤字は約5兆8000億円でした。ポイント解説(13)で見たように、与党民主党はTPP合意を大統領に任せることに反対でした。民主党の大切な選挙基盤のひとつがが労働組合だからです。だから大統領予備選の民主党候補であるクリントンさんはTPPに反対しています。「雇用創出や賃上げにつながる水準ではないから」です。
さてここで問題です。オバマさんは与党民主党を説得するために野党共和党と協力しました。ではなぜ共和党は野党なのに大統領に協力してTPPを推進しようとしたのでしょうか。民主党にとって労働組合がそうであるように、共和党にとって大企業の献金こそが大切な選挙資金の源泉だからです。
5.TPP合意は誰の利益なのか
じつはTPP協定条文案は国家機密です。アメリカの議員は閲覧することはできますが内容を他人に伝えることは禁じられています。日本の国会議員はそもそも閲覧が禁じられています。メデイアも交渉参加者からのリークによって情報を得ています。交渉参加者は「良い話」しか流しません。それもほとんどが関税に関するものです。ところが関税に関する条文は全体の一部(おそらく5分の1程度)です。合意の大半はそれ以外の分野、投資、知的財産、金融・電気通信サービス、そして紛争解決。つまり農家や畜産業者とはほど遠い大企業の利益に関するものなのです。
最大のポイントはISD条項だと言われています。ポイント解説(27)で見たように、これは多国籍企業が不利益を受けたと外国政府を訴えることができる条項です。どこに訴えるのでしょうか。国際投資紛争解決センター(ICSID)はワシントンD.C.にある世界銀行傘下の組織です。世界銀行は「慣例」としてアメリカ人が歴代総裁を務めています。ISD条項が合意されれば、それは国際条約ですから国内法より上位に位置します。そしてアメリカ企業はこのICSID訴訟で負けたことがないと言われています。
アメリカはTPPと同時並行させてEUとの間で環大西洋貿易投資パートナーシップ(TTIP)交渉を進めていましたが、今年の春頃からEUではこのISD条項が国家主権と民主主義を破壊するものだとして反対運動が盛り上げるようになりました(日本ではほとんど報道されていません)。
さて、日本では牛肉や乳製品、果物までも安くなると喜ぶ国民の姿がニュースで流れます。オバマさんの「中国のような国」声明にも共感が多かったことでしょう。世論調査です。日本経済新聞ではTPP大筋合意を「評価する」49%(評価しない26%)、朝日新聞ではTPP参加に「賛成」58%(反対21%)でした。
不充分で偏った報道を垂れ流しておいて、これは「世論調査」ですか?「世論操作」結果ですか?
日誌資料
10/07
・人民元、決済通貨4位に 8月シェア、始めて円抜く <1>
人民元国際化は一定の成果 IMF準備通貨入り議論に影響
・TPP国内農家対策 コメ価格維持に重点 牛・豚肉、赤字補填も
米・豪からの新規輸入分と同量の国債米を政府が買い上げて備蓄米に
・サムスン、2年ぶり増益 7-9月前年同期比80%増 半導体が好調
10/08
・安倍改造内閣が発足 「経済最優先」再び 一億総活躍、年内に対策 <2>
「新3本の矢」具体策急務 「GDP600兆円」・財政再建の両立待ったなし <3>
・8月機械受注5.7%減 3カ月連続で前月比マイナス 中国経済減速で投資停滞
・クリントン氏が「TPP現時点で賛成できない」表明 大統領選にらみ党内に配慮
・8月経常黒字1.6兆円 14カ月連続 貿易赤字は3260億円 <4>
⇒ポイント解説(7)参照
10/09
・内閣支持率44%小幅回復 日経世論調査 <5>
新3本の矢、53%評価 TPP大筋合意、49%評価 消費税引き上げ、57%反対
・FRB、利上げ環境「すでに整っているか、もしくは年末までに整う」
9月米連邦公開市場委員会(FOMC)議事要旨公表 「世界経済見極め」
10/10
・G20(20ヵ国地域財務相・中央銀行総裁会議:リマ)議論深めず閉幕 <6>
共同声明の採択も見送り 新興国経済減速、不安残す
IMF金融委員会は共同声明採択「世界経済のリスク増大」米利上げ判断に慎重さ求める
10/11
・法人税17年度に20%台 政府調整 減税で国際競争力 財源に赤字企業増税案
・人民元の準備通貨入り IMFが来月判断
10/12
・世界のM&A、今年最高ペース 10月上旬まで408兆円 大型案件増で
新興国景気減速→需要不透明→投資不振→規模拡大で収益性の維持に軸足移す
10/13
・中国、輸入9月20%減 輸出も3カ月連続減 生産下振れ鮮明
1-9月累計で輸入15.3%、輸出1.9%、貿易総額8.1%減少(前年同期比)
・管官房長官 ユネスコへの拠出金停止も 南京「世界記憶遺産」登録で
・沖縄知事が辺野古承認取り消し 政府、対抗措置へ