「 週間国際経済 」一覧

週間国際経済2020(26) No.237 09/13~09/19

今週のポイント解説(26) 09/13~09/19

ブレグジット、ジョンソンさんの悪あがき

1.FTAなきブレグジットも?

EU離脱の賛否を問うイギリスの国民投票で、「まさか」の離脱支持が過半数を超えた(51%)のが2016年の6月。これは国民投票を公約にしていた与党・保守党とっても予想外の結果だった。さて、離脱(ブレグジット:Britain+exit)は決まったが、「どのように離脱するのか」については、なんと議論すらもされていなかった。

イギリス政府は2017年3月にEUに対して離脱意思を通告して、それから2年以内(2019年10月)に離脱しなければならない。しかしEUとの「どのように離脱するのか」交渉が難航し、10月に延期、さらに延期されていく(⇒ポイント解説№178「なかなか別れられない別れ話」参照 *クリックすれば当該ページが読めます)。

イギリスは、なるべく自分に有利な形で離脱したい。ブレグジットはEUにとっても痛手だから、その弱みにつけこもうとする。しかいEUにとしては「いいとこ取り」は許されない。残るEU加盟国の結束が緩んでしまうからだ。

ついに今年2020年の1月、イギリスはEUを離脱した。しかし「どのように離脱するのか」を詰めるために今年の12月末まで「移行期間」を設けている(イギリスのジョンソン首相はこれを延長することはないと断言している)。その交渉期限は10月15日、焦点はブレグジット後のイギリスとEUとのFTA(自由貿易協定)締結だ。

例えば自動車、今イギリスとEUの間には関税がゼロだが、FTAも結ばず離脱するとそれが10%に跳ね上がる。英仏トンネルの双方の出口でも新たに関税手続きが必要になり、大渋滞が発生し部品などの納期も大幅に遅れることになる。

ヨーロッパの自動車業界23団体は仮にそうなった場合、2025年までに13兆円(1100億ユーロ)の損失が生じるとの試算を公表している(9月14日付日本経済新聞夕刊)。イギリスを含むヨーロッパの自動車業界は昨年1460万人を雇用していた。これは域内全体雇用の15人に1人に当たる。彼らの雇用が脅かされる。

だったらさっさとFTAを結べばいいように聞こえるのだが、簡単は話ではない。関税をゼロにする以上、イギリスとEUの競争が公正でなければならない。

ここに、新型コロナの問題が入ってくる。というのも、イギリスは経済再生のために大規模な補助金や優遇税制といった政府支援を考えている。EUとしてはそのルールをEUの規制に合わせないと不公平になると考えている。さらにイギリス海域でのEU加盟国の漁業権の扱いといった積み残し課題もある。

イギリスとEUは8月21日、今年7回目の交渉を行ったが平行線だった。EU側は、年内のFTA合意は「可能性が低い」と語った。

2.ジョンソンさんの揺さぶり、「アイルランド国境問題」

イギリスのジョンソン首相は、EUとの第8回交渉の直前(9月7日)、10月15日のEU首脳会議までに合意できなければ「FTAなしの結果を受け入れて次に進むべきだ」という声明を出した。そうなったらEUだって困るだろう、というこれまでのやり口だ。

それだけではない、ジョンソンさんはすでにEUと合意されていることも蒸し返してきた。ブレグジットには数多くの難題があるが、そのなかでも深刻な問題が「アイルランド国境問題」だった。

アイルランド島の北部一部「北アイルランド」はイギリスだ。それ以外はアイルランドでEU加盟国だ。つまりイギリスがEUを離脱するということはアイルランド島に事実上の「国境」が策定されることになる(⇒ポイント解説№163 「無秩序離脱へのカウントダウン」参照)。

北アイルランドには、その領有・帰属を巡って長い紛争の歴史がある(多数派のプロテスタントはイギリスとの連合を主張し、少数派のカトリックはイギリスからの分離とアイルランドへの合併を主張)。多くの犠牲者を出したが、どちらもEUに加盟したことで和平が成立した。

2019年10月、ジョンソンさんはEUと「イギリス本土と北アイルランドの間に関税手続き上の境界をつくる」ことで合意している。こうすることで、アイルランド島の中に境界線をつくらないで済むからだ。

それをジョンソンさんは、なかったことにしようと言うのだ(英フィナンシャル・タイムズ)。どうだ、FTAの合意ができなければたいへんなことになるだろう。だからイギリスの主張を取り入れろ、という「揺さぶり」だと報じられた(9月8日付同上)。そして9月9日、ジョンソン政権は、すでに発行済みのEUとの離脱協定の一部を修正する法案を議会に示したのだ。

3.EUの反発、内外から批判

昨年12月に欧州委員会委員長に就任したフォンデアライエンさんは、これまで見聞きした印象では断固として筋を通す人だ。ジョンソンさんの協定修正法案が報じられるやこれを「国際法違反」だと批判し、翌日10日にはロンドンに入って直接真意を問いただす構えを見せた。

欧州委員会も、修正法案を9月末までに撤回するよう要求した。ところがイギリス政府は「議会には主権があり、国際条約に抵触する法律も可決できる」と反論してきた。好条件を引き出すためのなりふり構わぬジョンソンさんの瀬戸際戦術だという見方もあるが、ぼくには「悪あがき」にしか見えない。

この国際法破りには、イギリス与党・保守党内からも批判が出ている。前首相のメイさんも批判しており、元首相のメージャーさんもブレアさんも「恥ずべき法案だ」という指弾を共同で新聞に寄稿した。修正法案が議会で否決される可能性もあるという。もちろん、アイルランドのマーティン首相も非難している。

4.頼みのアメリカも眉をひそめる

じつはトランプさんは、ずいぶんジョンソンさんに「合意なき離脱」をけしかけていた。EUなんか脱けてアメリカとFTAを結ぼうと。ところが今回の国際法破りの揺さぶり戦術で雲行きが怪しくなった。

アメリカ民主党のペロシ下院議長は9日、そんなことをしたらFTA締結には応じないと強く牽制した(9月12日付同上)。北アイルランド紛争を終結させた1998年和平合意を仲介したのはクリントン大統領(当時)だったし、アメリカのアイルランド系住民は民主党の地盤だ。

ついに大統領候補のバイデンさんが16日、ツイッターで「あらゆる米英の通商協定はアイルランド和平を尊重することが条件になる」と強調し、「平和がブレグジットで犠牲になるのは許せない」と指摘した。アメリア議会下院の過半数は民主党が握っている。10月15日の交渉期限までにFTA交渉がまとまらなければ、イギリスは宙ぶらりんになってしまう。

5.ブレグジットはイギリスの「主権」を回復させるのか

イギリスの国際貿易相は14日、TPP(環太平洋経済連携協定)に「2021年の初めに正式に加盟申請したい」との意向を議会で表明した(9月16日付同上)。イギリスの貿易額(2019年)の47%をEUが占める。アメリカは16%、TPP加盟国合計は7.8%にとどまる(うち日本は2%)。

なにより、後入りでTPPに加盟する以上、すべてTPPの現行ルールに従わなくてはならない。かりにアメリカとFTA交渉を始めても、マウントを取られることは間違いない。

イギリス保守党は、まさかの国民投票「離脱支持」に慌てながらも、名誉あるイギリスの「主権回復」を掲げてナショナリズムを刺激し、支持を得ようとしてきた。かりにEUから主権を回復できたとして、アメリカともTPPとも主権云々を主張する余地は乏しい。

ブレグジットでいったい、誰が得をするというのだろう。

ヨーロッパでは新型コロナの感染が再拡大している。イギリスの感染死者数は4万2000人を超え、ヨーロッパ最多だ。最近でも感染者数が1日4000人を超える。ついにジョンソンさんは22日、「危険な転換点に達した」と、飲食店の深夜営業禁止や在宅勤務など規制の再強化策を発表した(9月23日付同上)。

「私権」を制限しながら、「主権回復」を唱える。コロナの啓示は本当に皮肉だ。自己を譲って「利他的」に隣人と協調する。パンデミックとの戦いのあるべき姿に背を向けて、ブレグジットはまだ、漂い続ける。

日誌資料

  1. 09/13

    ・バーレーンもイスラエルと国交 対イラン圧力、中東で一段と 米が仲介
    ・ASEAN関連会議閉幕 強硬な対中包囲に及び腰 米主導の制裁と距離
    南シナ海問題には懸念を 深まる対中経済依存 アメリカの姿勢に疑念
  2. 09/14

    ・英EU、FTA(自由貿易協定)交渉決裂なら 車産業の損失13兆円(欧州業界団体)
    EUとの関税ゼロから10%に 欧州自動車業界の雇用1460万人(域内雇用の15人に1人)
  3. 09/15

    ・中国消費、プラス転換 8月0.5%増、コロナ後初 工業生産は5.6%増 <1>
    ・EU、対中関係を軌道修正 首脳会議で香港情勢など懸念表明 <2>
    人権や自由への脅威を問題視
  4. 09/16

    ・対ファーウェイ米規制発効(15日) 日本企業部品出荷の影響1兆円規模
    米国の装置やソフトなどを使用すれば外国製半導体でもファーウェイに供給できなくなる
    ・8月輸出14%減 貿易黒字は2ヶ月連続に(輸入が20%超減) <3>
  5. 09/17

    ・菅内閣が発足(16日) 規制改革へ縦割り打破 コロナ対応・経済両立
    ・世界、マイナス4.5%成長 OECD(経済協力開発機構)20年予測 <4>
    感染が再拡大した場合には「2~3%下振れする可能性」
    ・TikTok事業 米中、破局回避を模索 中国側が支配権、米に本社設置案
    ・EU、温暖化ガス55%削減 30年目標(40%から)上げ 世界で突出
    フォンデアライエン欧州委員長「達成可能だ」 英には離脱協定順守求める
    車各社の反発必至 排出規制強化 CO2半減報道も
    ・米、23年末までゼロ金利 FRB(米連邦準備理事会)利上げは物価2%上昇後
    米成長率、21年は4%予測 完全雇用は23年末 米経済、ゼロ金利頼み
  6. 09/18

    ・欧州、再びコロナ感染拡大 バカンス後、仏は1日1万人超も <5>
    人の移動増加(7月から順次、域外からの流入認める) 感染経路追跡不足も原因か
  7. 09/19

    ・TikTok新規提供禁止 20日から 米、売却交渉は継続
    米で「駆け込み特需」 配信停止控え、ダウンロード首位 ズームを上回る
    ・コロナ感染、世界累計3000万人超す 死者増加(94万人台)、8割が新興国<6>
    ・エスパー米国防長官 日本を含む同盟国に国防費GDP比2%要望
※PDFでもご覧いただけます
ico_pdf