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週間国際経済2022(3) No.296 01/22~02/01

今週の時事雑感 01/22~02/01

ウクライナ危機と『文明の衝突』

市民生活の中の軍事訓練

ロシアがウクライナに侵攻しても、アメリカもNATO(北大西洋条約機構)も軍隊を派遣しないと言明している。ウクライナはアメリカの同盟国でもNATO加盟国でもないからだ。

現地からの報道によると、ウクライナ市民が市街戦を想定した軍事訓練に参加している。まるで日常の風景であるかのようにテレビに映し出される。まったくの一般市民だ。年齢の幅も広く女性も多い。「家族を守るため」と決して昂揚することもなく語る表情、その揺るぎない覚悟の根源は何なのか。彼らは長く不安定な内戦停戦下にあり、「国境」で起きている危機だけに向き合っているのではない。「外からのロシア」だけでなく「内なるロシア」にも身構えているのだ。

銃の形に切り抜かれた薄い板を肩に当て、標準の合わせたかを学ぶかれらの固い表情に思わず心が後ずさりしながら、ふとぼくは20数年前に読んだ『文明の衝突』を探すために書庫を漁った。世界的なベストセラーだからという浮かれた理由で読み始め、とりあえず目を通したアリバイを得たという安心感だけが残るという数多くの本のひとつだったのに。

時事問題としてのウクライナ危機の整理

米ロ対立を軸にウクライナ情勢を見る限り、緊張は高まるばかりだ。落としどころがないからだ。ロシアはウクライナのNATO加盟を認めることはできないし、アメリカはNATO東方拡大凍結を受け入れることができない。アメリカ外交は警告一辺倒に傾く。派兵ではなく経済制裁だ。しかし制裁の具体的内容は検討中で明確にできないでいる。無理もない。対ロシア禁輸措置は資源価格の高騰による激しいインフレを加速させるだろうし、ドル決済システムからのロシア排除は米欧企業にも大きな打撃を与える。選択肢は限られる。

情勢が硬直する中で注目すべきことは、米英と仏独の間に事態対応の温度差が際立ってきたことだ。米英はロシアに強い警告を発し、ウクライナ大使館家族の国外退避命令まで出している。しかし仏独はロシアを刺激せず、粘り強く交渉を続ける。ぼくは危機を回避するためには、いわゆる「ノルマンディー・フォーマット」に頼るしかなさそうだと思い始める。

ことの起こりは2014年だ。ウクライナで親ロ政権がクーデターで倒れ、親米欧政権が成立し、ロシアはクリミアを併合した。同時にウクライナ東部(ドンバス地域)で親ロ派の分離独立勢力とウクライナ政府との武力衝突が発生した。折しもノルマンディー上陸作戦70周年記念祝賀会がフランスで開催され、そこで非公式に開かれたフランス、ドイツ、ロシア、ウクライナの指導者会合を契機に、おもにメルケル独首相のリーダーシップによってベラルーシの首都ミンクスで停戦の議定書が調印された(ミンスク合意)。

この「ミンスク合意」はドンバス地域、つまりドネツク州とルガンスク州に特別な地位、高い地方自治を確立してそれをウクライナが憲法で保障するという妥協だった。案の定、トランプ氏が横やりを入れる。ウクライナ政府は「合意」を履行する気配すら見せない。東部の不満は高まり、ロシアはこれをウクアイナ介入の口実にしようとする。ウクライナ危機は、いつ再過熱しても不思議ではなかったのだ。

ついにプーチン政権はウクライナ東部国境へ大軍を送り、ベラルーシとの大規模軍事演習を強行する。ベラルーシはウクライナ北部と国境を接し、国境から首都キエフまでわずか90キロだ。「ミンクス合意」が反故にされるなら東部だけでは済まないという威嚇なのか。あるいはプーチン氏の大ロシア主義にとって「キエフ公国」は譲れない原点なのだろうか。

ドイツはナチスの対ソ侵攻という歴史的反省から動きが鈍くなる。対してフランスの動きが活発になる。マクロン大統領は再三再四連続してプーチン氏と会談する。マクロン氏は「ノルマンディー・フォーマット」を再稼働させ、「ミンクス合意」の履行によって事態を収拾しようと奔走している。マクロン氏が頑張るのは、彼が主張するアメリカに依存しないEU安全保障の「戦略的自律性」に期待が集まっているからだ。バイデン政権のNATO派兵決定はこの動きに対する防御反射だろう。プーチン氏はアメリカが緊張を煽っていると非難する。メルケル氏はすでに舞台を降りている。

ウクライナ問題は冷戦終結と同時に始まっていた

東西冷戦の終わりとはソ連邦の解体である。したがってロシア・ウクライナ問題は冷戦の終わりと同時に始まっている。サミュエル・ハンチントン著『文明の衝突』(1996年)では国家パラダイム(国家を思考の枠組みとする問題の問い方)に立つ或る政治学者の次の予測を批判する。ウクライナとロシアのように「長距離にわたり無防備な国境を接している大国同士は、しばしば国の安全に対する不安にかられて張り合うようになる」、「この状況を克服して共存を実現するかもしれないが、めったなことではそうはならないだろう」。

対してハンチントン氏は文明の観点からアプローチを試み、そこではロシアとウクライナのつながりの密接さが強調され、「かわりに東方正教会に属するウクライナ人と東方帰一協会に属するウクライナ人を分けている文明の境目に注目するだろう」。そして前者(国家的パラダイム)は戦争の可能性とロシアによるウクライナ征服の可能性を予測し、後者(文明パラダイム)は両者の協力を奨励し、起こりうるウクライナの分裂に備えた対策の後押しをするだろう、と。

つまりパラダイムによって予測は異なり、予測によって対策が異なる。そしてこうした国家的パラダイムに「凝り固まる」(ハンチントン)態度は、ウクライナ危機のみならず現在の中東、朝鮮半島、台湾海峡問題においても反省が求められているのかもしれない。

ウクライナ危機に対応する米英と仏独の温度差は、国家的パラダイムに固執する米英と、一方文明のアプローチにも配慮する仏独の違いなのではないかと考え始めた。巷ではロシアの天然ガスに依存するゆえの欧州の煮えきれない態度という論調が主流だが、いや対ロ制裁によるエネルギー価格急騰の経済的打撃は、欧州とそれ以外とで大差はない。それより自国第一主義やEU離脱に酔いしれる米英の文明と、欧州統合の歩みを諦めない仏独の文明との差異にも着眼するべきではないかと考え始める。

「新冷戦」という言葉を使うのならば、「冷戦後の秩序」を問い直さねばならない

『文明の衝突』はすべてのベストセラーがそうであるように多くの批判にさらされた。文明の区分が短絡的で相互の関係も単純化しすぎている。なるほど。しかしハンチントン教授は自ら書いている、「文明パラダイムはこのように比較的単純だが(中略)、世界で進行中の事件の理解を助けている」と。たしかに国際政治学の素人で文明に対する基礎的教養が貧しいぼくの理解は、助けられた。『文明の衝突と21世紀の日本』(2000年)はまさに理解の助けのために書かれたものだっただろう。これも手元に置いて考察を進めることにしよう。

繰り返しになるが、東西冷戦の終わりとはソ連邦の解体である。それは世界のパワーの構造が米ソ二極システムだった時代の終わりを意味している。アメリカが唯一の超大国となったのだが、それは単純な一極システムへの移行ではない。ところがアメリカの官僚たちは「きわめて自然に」まるでそうであるかのように考え、行動する傾向にあるとハンチントン氏は指摘する。そして一極システムは一時的なものであり、世界は一つの超大国といくつかの大国からなる「一極・多極システム」を経験していくと洞察する。

一極・多極システムと排他的な超大国

ハンチントン氏によると一極・多極システムでは、グローバルなパワーの構造は4つのレベルからなる。その頂点に位置するのはもちろん唯一の超大国アメリカである。第二に位置するのは「地域的な大国」だ。ヨーロッパにおける独仏連合、ユーラシアにおけるロシア、東アジアにおける中国(潜在的には日本)、その他インド、イラン、インドネシア、ブラジル…、など。

第三に位置するのはナンバー・ツーの地域大国である。その権益はしばしば主要な地域的大国と対立する。独仏連合に対するイギリス、ロシアに対するウクライナ、中国に対する日本(潜在的には日本に対する韓国)、インドに対するパキスタン、イランに対するサウジアラビア、インドネシアに対するオーストラリア…、など。そしてアメリカとナンバー・ツーの地域大国とは、その地域における主要な地域大国の支配力を制限することで利益を分け合うことになるという。

ハンチントン氏は続ける。アメリカが日本との軍事的な同盟関係を強化し、中国をけん制したのはその具体例である。アメリカとイギリスの特別な関係は、ヨーロッパ統合によって生じたパワーに対する対抗勢力となっている。さらにアメリカはウクライナと密接な関係を築くことでロシアの勢力拡大を阻止しようとしている、と。

あらためてウクライナ危機を問う

『文明の衝突』発刊以降、同時多発テロからアフガン・イラク戦争という展開の中で、同著があたかもイスラム教とキリスト教の文明の衝突を予言した書かのようにもてはやされたが、それは本質的な評価ではない。むしろ『衝突』以降、リーマンショックによる超大国アメリカの動揺と中国の飛躍的な台頭は、想定外のことだった。

しかしなおも『衝突』は、「新冷戦」とは単純な米中対立に収斂して描かれるべきものではないことを示唆している。「新冷戦」とは複雑な「冷戦後の秩序」、そのパワーバランスの崩壊の帰結なのだと考えさせる。世界中の地域大国とナンバー・ツーの地域大国との対立は、地域大国の支配力を制限しアメリカとナンバー・ツー地域大国が利益を分け合うのではなく、むしろ両者が危機と損失を共有する方向に進んだ。

アメリカの抑止力は大幅に低下し、その軍事力は中東と東アジアの二正面戦略の負担に耐えきれずに中国シフトを進める中で、むしろ中国、ロシア、イランの支配力制限のための三正面戦略を余儀なくされ、その過重な抑止力負担をナンバー・ツー地域大国に押しつけているのだ。

イギリスはEUを離脱してアメリカの思惑通り独仏連合によるヨーロッパ支配力を制限することになったが、経済的地位を低下させながらウクライナ危機にも中国封じ込めにもイランへの対応にも戦略的分担を負うことになった。日本は尖閣問題で中国と妥協の余地なき対立を選択し、韓国とも歴史認識および領土問題で最悪の関係に陥り、北朝鮮の核ミサイルにも台湾海峡有事にもそしてウクライナ危機にも「応分の負担」を負うことになった。ウクライナ危機は、ウクライナが今直面している負担もまたこうした文脈から問い直す必要があることを示している。

このように「冷戦後の秩序」、すなわち一極・多極システムの果てに、世界システムは多極的危機としての「新冷戦」に突入しようとしているのだ。

日本の針路

ここまで冗長にして平板な叙述にお付き合いいただいた方には誠に申し訳なく思う。しかし『文明の衝突』を引き出してきた以上、その「日本語版への序文」にここで触れない訳にはいかない。

ハンチントン教授は言う。「世界の全ての主要な文明には、2ヵ国ないしそれ以上の国々が含まれている。日本がユニークなのは、日本国と日本文明が合致しているからである。そのことによって日本は孤立しており、世界のいかなる他国とも文化的に密接なつながりをもたない」。「そのために日本の他国との関係は文化的な紐帯ではなく、安全保障および経済的利益によって形成されることになる。しかし、それと同時に、日本は自国の利益のみを顧慮して行動することができ、日本は同じ文化を共有することから生ずる義務に縛られることがない」。ご異論噴出だろうが、ここからが大切だ。

「その意味で、日本は他の国々がもちえない行動の自由をほしいままにできる」、それが「東アジアと世界の平和を維持するうえで決定的な要因になるだろう」。

20数年ぶりにこの傍線が引かれた部分を読んだのだが、ぼくにはまだ答えを見つけることができないでいる。しかしその問いかけを今また、受け止めてみようと思った。

日誌資料

  1. 01/22

    ・日米首脳オンライン協議(21日) 経済2プラス2新設 <1>
    日米豪印、日本で首脳会談 今年前半バイデン氏来日
  2. 01/23

    ・世界株、15ヶ月ぶり下落率 ハイテク安波及、インフレ懸念
    ・米政権とインテル、2兆円工場 半導体、強まる国策依存 技術革新阻む恐れ
  3. 01/24

    ・米、大使館員家族にウクライナ退避命令 ロシア侵攻想定
    ・台湾防空圏に中国軍機 39機(23日)、日米連携に反発か
  4. 01/25

    ・欧州、巨大IT規制を承認 違法コンテンツ排除法案可決 <2>
    罰金、世界販売6%にも ルール作りを主導
    ・ビットコインが急落 ピークの半値、利上げ警戒
    ・米欧首脳が緊急協議 抑止力強化を確認 EU「ウクライナ攻撃ならロシア制裁」警告
    ・NY株一時1100ドル安 市場動揺、欧州株も全面安
  5. 01/26

    ・世界株に複合リスク 米利上げ 景気減速 地政学 持ち高減らす動き鮮明
    ・韓国経済 米中リスク 政府・中銀見通し 今年3%成長に鈍化
    ・欧州向けガス「不足分確保」 米、ロシア産停止に備え 中東やアジア企業と交渉
    ・英首相官邸を捜査 ロンドン警視庁 パーティー問題で
    ・日銀1月会合 物価、2%近くに上昇も「定着まで緩和継続」の意見
  6. 01/27

    ・ロシア経済、苦境増す インフレ加速・通貨は安値圏 米欧制裁と根比べ <3>
    ・米、3月利上げ示唆 FRB議長「条件整う」(26日) ペースは「未定」強調 <4>
    市場動揺 NY株129ドル下落 日経平均一時900円安
    ・米欧、ロシア提案を拒否 NATO拡大「譲歩せず」 書面で回答(26日)
  7. 01/28

    ・米GDP6.9%増に加速 10~12月、個人消費が堅調 1~3月は再び2%台も <5>
    ・アップル2割増益 10~12月 供給制約下でも最高益
    ・メタ、デジタル通貨断念へ 米報道 運営団体が技術売却
  8. 01/29

    ・米消費支出物価5.8%上昇 12月 供給制約下、賃上げ進む
    ・米人件費に上昇圧力 指数20年ぶり伸び 労働力不足続く <6>
    ・NY株4週ぶり上昇 アップルなど好決算企業けん引
    ・欧州向けガス調達へ協力 米EU首脳 ロシア産停止に備え
    ・米大統領「近く東欧派兵」
  9. 01/30

    ・対ロ強硬ドイツの葛藤 エネ依存高く、対話を優先 侵攻ならガス管計画凍結も
  10. 01/31

    ・北朝鮮、4年ぶり中距離ミサイル 今月7回目発射 ICBM再開の恐れ
    ・「必要なら0.5%利上げ」アトランタ連銀総裁 幅拡大を示唆 FT報道
  11. 02/01

    ・ユーロ圏急減速0.3%成長 10~12月 感染増、車生産に打撃 <7>
    独はマイナスに転落 ガス高騰、先行きも曇らす
    ・ウクライナ巡り安保理で欧州 米「敵意欧州脅かす」 ロ「軍10万人」を否定
※PDFでもご覧いただけます
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